2010年の北京オートチャイナ2010の取材を2日で済ませ、あとは北京航空博物館と故宮などで街歩きの結果、北京の自動車状況は昭和30年前半の日本と同傾向。特種階級御用達から庶民に普及が始まった乗用車は圧倒的に黒色塗装の3BOXセダンで、新車購入の70%が初めてのマイカーだそうだ。
が、昔の東京同様、北京の道は無法地帯、急激車線変更や急停車、割り込みなど、神風タクシー時代を思い出した。
さて、ショー取材中シトロエンブースで、世界的名車シトロエンDSの展示に出会った。20世紀末のセンチュリーofザイヤーで堂々の三位入賞…ちなみに一位はフォードT、二位オースチンミニ・四位VWビートル・26位シトロエン2CVだった。
シトロエンのブーランジェ社長の名作が1948年登場の2CV と55年登場のDS。どちらもWWⅡ前に開発を始めた乗用車である。
パリオートサロン初お目見えで{醜いアヒルの子}と嘲笑された2CV とは対照的に、DSには賞賛が集まり、除幕15分後には743台を受注、その日のうちに1万2000台を成約してしまった。
宇宙船と評されたスタイリングは、元彫刻家のF.ベルトーネ。開発はWWⅠで戦闘機、そして高級車と競争自動車で名を知られたボアザンから移籍したA.ルフェーブルで、彼の知識がフンダンに活かされたと聞く。とにかく常識外れの姿と機構は、10年先、20年先の車と評された。
ブーランジェ指示の開発コンセプトは、安全と居住性・悪路での操安性と乗り心地・空力性能だったが、完成したDSは全てをクリアしていた。が、その結果、全長4810×全幅1800㎜・WB3125㎜と、異常に大型になってしまった。誕生時中級車だったが、徐々に高級バージョンも追加され、大統領の大型リムジンまで登場する。
いずれにしても、55年から75年迄に145.5万台も売るロングセラーになろうとは誰も思わなかったろう。
DSの非常識は姿だけではなかった。高圧ポンプで発生した高圧オイルにより、サスペンション・パワーステアリング・半自動変速機・ブレーキ補助などを制御…DS19が登場する英国の小説家ライアルは「優れた車だが複雑で人より血管が多く出血したら終わりだ」と形容した。
血管の行く先で特に注目点は、ハイドロニューマチック・サス…量産では世界初採用と思われる一種のエアサス。ロールスやベンツがライセンス契約をしたほどの機構で、スプリング代わりの窒素ガスを高圧油で制御する。また世界初採用インボード前輪ディスクブレーキなど、飛行機屋ならではの着想が実行されている。
最初踏むのに躊躇する乳房状のブレーキペダル、自動で中立位置に戻るステアリング、クラッチレスの四速半自動変速機、車高制御など、どれもが一個の油圧ポンプの油圧で作動制御されているのだ。
旧型から引き継いだ唯一のエンジンは直四OHV1911cc・75馬力で最高速度140kmは、61年から83馬力で160kmに。71年のDS21の2117cc139馬力は仏初のボッシュジェトロニク噴射型に。写真のDS23は2347cc・141馬力・188kmだった。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格 審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち 」「懐かしの車アルバム」等々。