タブーな比較広告 カローラvsサニー

コラム・特集 車屋四六

かつてトヨタは生産量世界一になるのを避けていたが、GMの破綻で自然発生的に世界一の座を得ると、予測通り米国のバッシングが始まる。議会公聴会や報道、また公衆面前で日本車をトンカチで壊し「トヨタ車下取りで○○ドル進呈」など露骨な広告も出た。

法規制はないが、日本ではこの手の広告はタブーだった。比較広告でさえ事実上御法度だったが、90年前後になると、態度控えめだが、アメ車の広告で破られた。

キャデラック対プレジデント、ポンティアック対ローレル。それぞれの諸元を対比させ「アメ車を馬鹿にするのは止めてくれ・性能は同等じゃないか」…比較広告本場の米国CMとしては控えめだったが。

当時日本のPC市場で圧倒的なNEC9800対米国PCでは、少しだけ米国製の諸元が上なのに「米国製が高性能」とは触れず、最後に安い値段を大書して「どっちが良いかは貴方がたで御判断を」と。

日本ではタブーでも米国では日常茶飯事…どぎつく、あくどく、相手を蹴落とすなど珍しくもないが、米国だけと思ったらさにあらず、60年代の日本にかなりどぎついものが存在していた。

1960年代半ば、所得が増えたサラリーマンに、待望のマイカー時代が到来した。その先駆けが46万円という安いサニー、半年ほど遅れてカローラ登場。当時の市場には、スバル1000、マツダファミリア1000、ダイハツコンパーノ、三菱コルト1000などがいた。

でも市場はサニーvsカローラの熾烈な販売合戦となった。
先に仕掛けたのが後発のカローラ…カローラは独走するサニー対策で、急遽気筒容積を100cc拡大後に発表し、打ったCMが「プラス100ccの余裕」だった。

プラス100ccも正確には89cc:既に完成したエンジンのボアアップでは+100ccは無理だったようだ。{技術の日産}の定評にあぐらをかいた日産よりCMではトヨタの方が上だったようだ。

たった100ccされど100cc…トヨタの苦肉の策は当たり、大きな効果を発揮して高級感と強さのイメージを生み出し、値段が49.5万円とサニーよりも高価だったが、アッという間にサニーを王座から追い落とした。

カローラのK型1077ccは60馬力、サニーA10型988cc56馬力、最高速度140㎞vs135㎞。走り出したばかりの大衆車時代の、知識経験不足のユーザー達には大きな差と錯覚したのである。

対する日産も黙っていない「隣の車が小さく見えます」とやり返した…サニーの全幅はカローラより40㎜狭いが、全長が75㎜長いことからの反撃だった。

このCM合戦は面白そう、何処までエスカレートするかと期待したが、続きはなかった。きっと公正取引委員会かオカミが灸を据えたのではないかと推測される。

以来この手のCMは日本で皆無になったというよりは、事実上御法度といった方が良かった。冒頭の米国製品の比較広告は、沈黙期間がなかった後だけにアピール度は最高だった。
が、日米貿易摩擦問題などを抱えていたからだろう、オカミも黙らざるを得なかったようで、そのままに捨て置かれた。

プラス89ccでもカローラ1100の名は威力を発揮:フロアシフトでスポーティー感の演出、内外の質感と巾広の視覚的安定感でサニーより上級を思わせることに成功した

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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