世界初のフルタイム四駆 アウディ80クワトロ

コラム・特集 車屋四六

スポーティなプレミアムカーと認知されているアウディの地位を確立したのは、乗用車と四駆をドッキングさせたクワトロと云って過言ではない。(クワトロとは伊語で「4」のこと)

もちろんクワトロの前にも乗用四駆は既に存在する…スバル1300G-4WDが東北電力に納入され、1972年にレオーネで一般向けに市販されたが、これはジープが手本らしくパートタイム型だから、フルタイムと云うことになればアウディが元祖と云うことになる。

世界初のフルタイム四駆と銘打って売りだしたアウディ80クワトロの広告/ヤナセ

乗用四駆レオーネの成功のあと登場したクワトロは、世界のラリーを勝ちまくりチャンピオンの座に、ということで世界のラリーカーに四駆ブームが巻き起こるのである。

さて、戦前りっぱな経歴を持つアウディもWWⅡ後は大衆車、それもドイツでは公務員の車と呼ばれるほどダサイ車になったが、そんな時代から輸入してステイタスカーに育てたのはヤナセの功績。

耳にタコだろうがアウディ四輪マークは、ホルヒ+アウディ+バンダラー+DKW、四社合併の証しだが、その切っ掛けはヒトラー政権がレースを国威高揚の手段に選び、盛りあげるにはベンツに対抗する強力なライバルが必要ということで生まれたのである。

が、既にレーシングカーで活躍中のベンツは良いが、寄り合い所帯のアウトウニオンには車がない。で開発を依頼したのがポルシェ事務所…完成した車は斬新なミドシップ型で、ベンツとアウトウニオンの一騎打ちが世界のサーキットで始まるのである。

余談になるが、ポルシェは同じ頃に労働意欲と国威高揚目的の大衆車開発を依頼されたように、ヒトラーの厚い信頼を得ていたようだ。その車は皮肉にも敗戦後に一世風靡するビートルである。

アウトウニオンの戦後復興は芳しくなく、58年にベンツに買収され、69年にはVW傘下に入り、NSUとの合併でNSUアウトウニオンと改名するが、ヤナセが輸入権を得たのは67年、丁度この頃。

ドイツ市場では芳しくない車も、日本市場でヤナセの手に掛かれば徐々に定着、もちろん車自体も上手に変身するのと相まって、高級イメージを育てあげた。結果、一家でお父さんはベンツ、お母さんアウディ、子供達VWという図式を育て上げるのである。

が、好調なヤナセに突如不幸が訪れる…92年VWとアウディの販売権失った。不本意なVWの行為に怒ったドン梁瀬次郎は、知名度ゼロに近いオペルの輸入権を取得、販売開始で、当時おおきな話題となった。

「ジープより快適で通年使用可能な現場巡回車」という東北電力の注文で8台生産されたスバルff-1・1300G-4WD:これをベースに世界初量販乗用四駆レオーネが誕生する

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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