【DAYNA PANHARD】ダイナパンハードじゃないよ

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全国7457館、昭和30年/1960、日本映画界は絶頂期を迎えていた。松竹、東宝、日活、東映,、夢を生む憧れの米国や欧州の映画…映画は戦後最大の大衆娯楽で、何処も満員盛況だった。

そんな60年にフランスで登場したのが戦後二代目のDAYNA PANHARDという乗用車だが、新聞はおろか有名な自動車専門紙までが呼称を間違えた…ダイナパンハードと。

戦後の米国一辺倒の世の中、横文字は英語と思ったのが間違いの元…本当はフランス語で、ディナパナールだった。

そんな54年は、ゴジラ登場、美空ひばりのヒヨドリ草子で中村(萬屋)錦之介デビュー、三船敏郎の七人の侍が話題に、ヘップバーンのローマの休日で走り廻るイタリア製ベスパが格好良かった。

誰もが変な車と云った54年の初代パナールXは、FFで小排気量小出力、無駄を削いだアルミ製車体で軽量高性能だったが、高価格で売れず、二代目のPL17に変身する。斬新な流線型にはなったが「相変わらず変な車」が英国人ジャーナリストの評価だった。

東京では日仏自動車や新東(株)が輸入したが不人気で、少量がタクシーになったが,日本の悪路でたちまち馬脚を現した…私の最初のパナールはタクシーで、全長4571×全幅1550㎜と小柄だが、2570㎜と長いWBで、2L級六座席という広い室内、乗り心地の良さに感心したのを憶えている。

空冷水平対向二気筒わずか851ccで40馬力だったが、総アルミでの軽量車重わずか650kgらしく、最高速度130粁という高性能を誇った。それでも満足しないパナールファンの要望で、62年50馬力、更に60馬力にもなり150粁を超えるようになった。

市場の不人気とは裏腹に、数々の著名ラリーで優勝。またルマン24時間ではパフォーマンス部門で優勝している。

実はパナールには、スポーツの血が流れている。そもそもパナールはフランス最古の自動車会社で創業1887年/明治20年。自動車黎明期の初期レースで活躍した、パナールルバッソールと云えば誰もが知る名門である。が、パナールの相棒ルバッソールがレースで事故死しても、パナールはエンブレムのPLを使い続けた。

ディナパナールのルマン仕様/独ロッソビアンコ博物館で:パフォーマンス部門での優勝車。

その後のPL車は金満家御用達高級車メーカーだったが、WWⅡ以後は一転して大衆車造りに転向した。スポーティーなDNAは生き続けて活躍を続けるが、売れなければ仕方がない、結局65年にシトロエンに吸収合併され、アルミを鉄などにしてコストダウンを計ったが、不人気は回復せず、67年由緒あるPLの名が消滅したのである。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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