四輪駆動と云えば、悪路いや道なき道を走る自動車と思っている人が多いが、世界初の四輪駆動車は、速く走るために開発されたものだった。
19世紀末に誕生した自動車は、便利な移動運搬具というばかりでなく、人類が持って生まれた闘争心のせいで、速く走るための道具としての運命をも持たされてしまった。
その競争に戦争が加わり、自動車は長足の進歩を遂げるのだが、初めの頃は速度向上の手段は主にエンジンだった。出力向上が速度上昇に繋がることを結果が証明したからだ。
当時は燃焼効率向上や回転上昇に対応する技術知識もとぼしく、あるのは技術者の勘とひらめきだけ。で、出力向上の手段は、単に気筒容積を拡大することだった。
で、シリンダー数が増え、シリンダー容積の拡大が続き、四気筒で2万8000ccなどというレーシングカーも開発された。その間に変速機も多段になり、スタート時のタイヤにかかる負担は、当時のタイヤの限界を超えてしまったのである。
それを解決しようとしたのがオランダのスパイカーだった。
彼等の考えは、大きな駆動力を二輪で受け止めるからタイヤがもたない。ならば四輪に配分すれば一輪あたりの負担が半分になるということだった。
そのスパイカー四輪駆動レーシングカー(トップ写真)の誕生は1902年で、8000cc・65馬力の車はセンターデフを装備していた。が、優れた四駆の性能もレースには生かせず、良い成績が残せず消えてしまった。
が、1903年、オーストリーに設立したダイムラー社が軍の要請で四輪駆動車を開発したが、性能が思わしくなく試作程度で消えてしまったが、こちらは、その後発展し、先ず軍用で活躍し、その中の大スターが、米軍のジープであることは御存知のとおり。
その後、乗用車での四輪駆動世界初採用はスバルで、一気に世界に認めさせたのがアウディのクワトロ。いまでは四輪駆動のレーシングカーは常識的になり、乗用車でも当たり前の時代になった。
スパイカーの四輪駆動が誕生した1902年は明治35年、八甲田山死の行進で、199名の陸軍兵士が凍死した年だった。そしてオフロード用ダイムラーが誕生した1903年。世界が注目した出来事が、ライトの人類初の動力飛行だった。