その年に発表されたクルマの中から、最も優れた1台を選出するのがカー・オブ・ザ・イヤーだ。言い換えれば、受賞車は時代を象徴するクルマであるともいえるだろう。そこで今回は平成元年から平成30年までの受賞車を一気に総ざらい。平成クルマ史を振り返ってみよう。
まずは平成元年から平成10年まで。セルシオから始まり、初代オデッセイやワゴンR、プリウスが登場するなど、新しいカテゴリーの創出が続いた時代だ。
・平成元年(1989年)
日本カー・オブ・ザ・イヤー:トヨタ セルシオ
平成の幕明けはバブル景気真っ最中、今思えば日本が一番元気だった時代だ。この年のノミネート車を見てもR32スカイライン、4代目フェアレディZ、初代ロードスター、初代レガシィなど豪華な顔ぶれが勢揃いしている。
その中で平成初のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのが初代セルシオだ。海外名は初代「レクサスLS」、好景気に沸く当時は、高級車が飛ぶように売れた時代であり、まさに時代を象徴するモデルといえるだろう。
その開発目標は「想像を超えた高級車を造る」。トヨタとして、いかに力を入れて開発したモデルであったかわかる。最高速250km/h、そして200km/hでも車内で会話ができる静粛性を目指していたという。また内装のウッドパネルにはピアノ/家具製造で培われたヤマハの技術が採り入れられる等、随所にこだわりを持ったクルマ造りがなされていた。
・平成2年(1990年)
日本カー・オブ・ザ・イヤー:三菱 ディアマンテ
90年代の幕開けという感が強かったこの年。まだまだ景気も好調で、楽観ムードが続いていた時代だ。ノミネート車もNSX、レジェンド、ユーノス・コスモ等々、まだまだバブリーな雰囲気である。
三菱初の3ナンバー専用ピラード・ハードトップとして登場した「ディアマンテ」もそんなムードに満ちた贅沢な新モデル。2L/2.5L/3LのV6エンジンを搭載し、駆動方式はFFのほか、当時の上級セダンでは珍しかった4WDも設定された意欲作だ。
そして満載されたハイテク装備も素晴らしい。ドライバーに合わせてシート・ステアリング・ルームミラー・ドアミラーの位置・角度を総合的に自動調整する「MICS(三菱インテリジェント・コクピット・システム)」や、ナビゲーション・オーディオ・テレビ・車両情報・個人情報をセンターコンソールの画面上に表示する「MMCS(三菱マルチ・コミュニケーション・システム)」などを搭載していた。
ちなみに「ディアマンテ」とはスペイン語でダイヤモンドのこと。三菱の気合の入れようがわかるネーミングである。
・平成3年(1991年)
日本カー・オブ・ザ・イヤー:ホンダ シビック
RJCカー・オブ・ザ・イヤー:マツダ RX-7
この年からもう一つのカー・オブ・ザ・イヤーとして「RJCカーオブザイヤー」がスタート。二大カー・オブ・ザ・イヤー時代となった。
主なノミネート車は、大ヒットとなった2代目パジェロ、全車3ナンバーサイズになった9代目クラウンなどのほか、軽オープン2シーターのビート、カプチーノも登場するなど幅広い。RVから軽スポーツまで、市場の細分化が急速に進んだのがこの頃だ。
その中でこの年、日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのは5代目シビック。通称「スポーツシビック」と呼ばれたモデルである。なおシビックとしては1984年(昭和59年)に続く2回目の受賞。
当時のホンダの資料には「この新型シビックシリーズは、時代をリードするスマートで行動的な若者をターゲットとする明快な開発コンセプトのもと、これからのクルマのあるべき姿の指標となるべきさまざまな要素を高次元で達成したものである」とある。今見ると“時代をリードするスマートで行動的な若者”?という感じもするが、当時は「若者のクルマ離れ」とは無縁の時代。最高出力170psを発揮するDOHC VTEC「B16A」エンジンの走りが、多くの若者を惹きつけたことは間違いない。1.6Lエンジンを搭載する「テンロクスポーツ」がまだまだ人気があった頃だ。
一方RX-7は3代目モデルで、発売当時の正式名称は「アンフィニRX-7」。マツダRX-7でないのは、当時のマツダは5チャンネル販売体制で、RX-7はアンフィニ店扱いだったから。マツダ5チャンネル体制はその後散々な大失敗に終わるが、このRX-7はロータリーエンジンを搭載する稀有なピュアスポーツカーとして熟成が図られ、その後も長期に渡って高い人気を続けていくこととなった。
・平成4年(1992年)
日本カー・オブ・ザ・イヤー:日産 マーチ
RJCカー・オブ・ザ・イヤー:日産 マーチ
この年は2つのカー・オブ・ザ・イヤーとも2代目マーチが受賞。さらに欧州でも欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞と、まさに新型マーチが総ナメという結果となった。
2代目マーチの開発テーマは「高効率のパッケージングと経済的で軽快な走りのニューコンパクト」。小さなボディに広い室内空間という合理的なコンパクトカーで、高い実用性を実現していた。新開発の1.3Lエンジンや日産初のCVTを搭載するなど、メカニズム面でも先進の内容を持っており、その辺りが高く評価されたといえるだろう。またヨーロピアン調のデザインも好評だった。
・平成5年(1993年)
日本カー・オブ・ザ・イヤー:ホンダ アコード
RJCカー・オブ・ザ・イヤー:スズキ ワゴンR
5代目アコードと初代ワゴンRがそれぞれ受賞。3ナンバー・ワイドボディの上級セダンであるアコードと、当時としては高効率の広い室内空間を持つ軽自動車では真逆の方向性に見えるが、アコードのアピールポイントの一つが「高いバリューフォーマネー」。経済的な合理性も追求するという点では共通している。バブル崩壊後の不景気が明確に表れた時期で、いわゆる就職氷河期が始まったのもこの年からだ。
ちなみに軽自動車でカー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのは、この初代ワゴンRが初。発売直後から大ヒットとなり、軽トールワゴンという新カテゴリーが生まれる結果となった。アルトに代表される軽ハッチバック(セダン)から、これ以降、主流がトールワゴンに移り、長年軽自動車市場を牽引していくことになった。
・平成6年(1994年)
日本カ・オブ・ザ・イヤー:三菱FTO
RJCカー・オブ・ザ・イヤー:ホンダ オデッセイ
この年の主なノミネート車は受賞したFTO、初代オデッセイの他、初代RAV4、2代目セフィーロ、8代目ファミリア、2代目セルシオなど。新カテゴリーのオデッセイとRAV4以外は、どちらかというと熟成モデルが目立った年だ。
三菱FTOはミラージュをベースにした2ドアクーペ。エンジンは2L・V6と1.8L・直4を搭載、駆動方式はFFのみだが、日本発のマニュアルモード付きATの搭載もあって走行性能、特に旋回性能が高く評価されたモデルだ。が、個性的なスタイルも相まって販売面では人気が続かず苦戦。いわゆる玄人受けするモデルだったといえるだろう。ちなみに兄貴分のGTOは前年登場しているが、こちらは受賞を逃している。
一方RJCは、初代オデッセイ。ラインアップにミニバンがなく当時のRVブームの中で出遅れていたホンダが、苦肉の策でアコードをベースにミニバン化したのが功を奏して大ヒットとなったモデルである。低い車高でヒンジドアのミニバンというスタイルは、後席スライドドアと高い車高という従来の1BOXミニバンとはまったく異なるもので、「乗用ミニバン」として新しいカテゴリーとして認知されることとなった。
・平成7年(1995年)
日本カ・オブ・ザ・イヤー:ホンダ シビック
RJCカー・オブ・ザ・イヤー:トヨタ クラウン/マジェスタ
当時はRVブーム真っ盛り。ノミネート車の顔ぶれも2代目テラノ、初代CR-V、ボンゴフレンディ、パジェロミニ等が登場し時代の変化を感じさせる。が、その中で受賞車はシビックとクラウンで、ともに伝統あるクルマが選ばれる結果となった。
シビックは6代目のEK型、通称「ミラクルシビック」で、シビックとしてはこれで3度目の受賞。カー・オブ・ザ・イヤーと相性がいいクルマだ。高出力低燃費の「3ステージVTECエンジン」やホンダ初のCVT「ホンダマルチマチック」を搭載したのが大きな特徴。その後97年のマイナーチェンジでシビック初のタイプRも設定されている。
一方クラウンは10代目となるモデル。キャッチコピーは「美しく、走る。日本のクラウン。」。モノコックボディを採用し軽量化を実現したのが大きな特徴だ。またマジェスタは2代目となるモデル。プラットフォームはクラウンと共用するが、この代から外観上の差別化が図られるようになった。
・平成8年(1996年)
日本カ・オブ・ザ・イヤー:三菱 ギャラン/レグナム
RJCカー・オブ・ザ・イヤー:マツダ デミオ
この年のノミネート車は、RJCを受賞したデミオを筆頭にベーシックなコンパクトカーやファミリー向けモデルが目立つ。ホンダ・ロゴ、ステップワゴン、トヨタ・イプサム、ダイハツ・パイザーなどだ。
その中で日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのは8代目ギャラン。レグナムはそのステーションワゴン版だ。この8代目ギャランの特徴は、何といっても世界で初めて量産車に搭載された直噴エンジン「GDI」を搭載したこと。高出力かつ低燃費の画期的なエンジンとして大いに注目を集めることとなった。が、市場に出ると不具合多発で、その後は信用ガタ落ち。当時はまだ技術的課題が多く残っており、早すぎた登場だったといえるだろう。
RJCカー・オブ・ザ・イヤーは初代デミオ。当時経営危機にあったマツダを救うべく、短期間で開発されたモデルだが、「機能」に徹したシンプルな造りと高い完成度が評価されての受賞となった。現在のデミオは前席重視のパーソナルカーだが、この初代デミオはトールワゴンタイプ。広い室内空間を持ち、便利に使える実用的な車だった。
・平成9年(1997年)
日本カ・オブ・ザ・イヤー:トヨタ プリウス
RJCカー・オブ・ザ・イヤー:トヨタ プリウス
「21世紀に間に合いました」で登場した初代プリウスがともに受賞。ここから本格ハイブリッド車の歴史がスタートすることとなった。ちなみに他の主なノミネート車はアコード、アリスト、シャリオグランディス、S-MX、カペラ、ラウム、フォレスター、ルネッサ、ビークロス。さすがに世界初の量産ハイブリッド専用車と比べられたら、勝ち目はない。
この初代プリウスは5ナンバーサイズの4ドアセダンで、HVシステムはTHSを採用。登場時の10・15モード燃費は28.0km/Lで、当時としては驚異的な燃費性能を誇っていた。ただ初モノという事に加えて価格が割高なこともあり、販売面では苦戦。プリウスが一躍ベストセラーに躍り出たのは、ガソリン価格が高騰した2代目後期からである。
・平成10年(1998年)
日本カ・オブ・ザ・イヤー:トヨタ アルテッツァ
RJCカー・オブ・ザ・イヤー:スバル レガシィ
この年の主なノミネート車はアルテッツァのほか、レガシィ、スカイライン、ロードスターなど走りを売りにするものも多いが、一方でホンダZ、HR-V、パジェロioといったクロスオーバーSUV系のモデルが登場したのも目を引いた。
その中で、国産では久しぶりとなる小型FRスポーツセダンとして登場したアルテッツァが日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。大人4人が快適に乗車できるパッケージングや高出力な2Lエンジンの搭載で、発売直後から高い人気を集めたモデルだ。
レガシィは3代目となるモデル。先代にあったFFは廃止されて全車4WDとなったほか、内装の品質管や快適性が大きく向上されたのが大きな特徴。ボディは5ナンバーサイズのままで、実用性の高さでも評価されたモデルである。