世界ではFWD、日本ではFFと呼ぶ最初の量産車は、55年登場のスズキフロンテ。以後スバル1000、シビックなど小型車のFF化が進むなか、何故か二大メーカーのトヨタ日産はFRばかりだった。
1978年トヨタが、ようやく重い腰を上げて、ターセル&コルサが誕生するが、こいつはFRのFF化だからエンジンも縦置きだった。
そして82年、満を持して登場したFFのカムリには、FRのベース車はなく、全くゼロからの開発で、FFのメリットを最大限に生かした斬新さに専門家が注目した。
当時カムリの位置づけは、ラグジュアリーなMK-Ⅱとコロナの間を受け持つパーソナル上級車だった。販売系列の関係で、ビスタという兄弟車も生まれていた。
FF車専用開発のレーザーS-FFは横置き搭載で、専用の5MT変速機も開発された。直四OHC・1832cc・100馬力/15.5kg-m・ラッシュアジャスターや電動ファンが斬新だった。
最上級ZXが165.7万円。扁平率60%が登場したばかりだから、まだ185/70R13タイヤはスポーティー感十分だった。
全長4400x全幅1690㎜・WB2600㎜の姿は見るからに巾広で安定感に満ちていた。上級のMK-Ⅱより広いと感心した室内、そしてフラットな床は、FFならではのメリットからの賜物だった。
液晶のエレクトロニクディスプレイが珍しく、前席パワーシート、後席リクライニングも自慢の種。が、FF専用のAT開発が遅れ、半年遅れて登場の2000ZX/182.6万円で登場する。
当時の私の試乗記では、100㎞巡航五速で2300回転、ゼロ100粁加速12.4秒、ゼロ400加速17.3秒。実走燃費14.3km/ℓ。ソフトな乗心地から心配の、旋回中のロールは広いトレッドで不安なく、旋回中のアクセルON状態ではアンダーステアが強いと書いている。
トヨタといえどもFF技術に関しては、まだ未熟な時代だった。83年になると1.8ℓターボディーゼルを追加、車種を充実しながら86年の三代目を迎えることになる。
そんなカムリ&ビスタが誕生した82年は日本のワープロ元年。78年に東芝、次ぎにシャープと先輩がいたが、富士通からマイオアシスの登場で普及が始まるからだ。それまでは200万円前後もすれば高嶺の花。それが75万円になり、企業が採用を始めたからだ。
大きな高見山vs小さなワープロというCMも評判。ワードプロセッサーを{ワープロ}と富士通が縮めて以後それが日常語になった。
是非はともかく、富士通は日本語入力に最適と親指シフトを開発、これも普及に一役買ったが、文章作成がPCに移行する段階でワープロが消えて、当時親指シフトを身につけた人達が困っている。
今や数万円で買えるPCだが「少量継続生産の富士通PCは25万円も」と嘆いているのは、著名自動車評論家の松下宏だ。