【車屋四六】クロスレイと瓜二つのダットサン

コラム・特集 車屋四六

特許権・商標権・意匠権などというものがある…そんな権利にやかましいのが欧米で、特に厳しいのが米国。
追いつけ追い越せ時代の日本はそれほどでもなかったが、近頃追われる立場になるにつれ、日本も厳しくなってきた。

我々日本人の性格というか習慣というか、アイディアはタダという風習がある。また開発・発明・功績などは全て会社の物…発明者vs会社のLED騒動裁判など氷山の一角である。

話は変わり、日本はWWⅡ敗戦で占領されたが、進駐した連合軍は、英国、ソ連、オランダ、中華民国、ニュージーランドというように多国籍だが、主流は米軍だった。

その頃、家も食べ物も着る物もない我々の目に写る米兵&軍属の豊かさは夢のようで、仰天したものである。下級兵士でも栄養たっぷりの体格にアイロンでピンと筋が入ったズボン…よれよれの日本の兵隊さんとはまるで違った様相だった。

占領政策が順調に進み、日本人が危険でないと判ると、本国から家族と共にやってきたピカピカの乗用車が、街を走りだした。
終戦直後の車は戦前の復刻版だったが、米国では40年頃既に流線型になっていたから、それはそれはスマートで格好良かった。

一方貧しさの中で蟻のように働く日本人の娯楽は映画…特に米国映画が人気で、ホームドラマの有り余る食べもの、贅沢な洋服、自転車のように乗り回す自動車、かなわぬ夢に国中が酔いしれた。

朝日新聞連載四コマ漫画の主人公{ブロンディー}の旦那ダクグウッドが作るサンドイッチは、二枚の食パンに挟まる具が30センチを超えようという馬鹿げたものを舌なめずりしながら読み、絵に描いた餅的自動車を高嶺の花と判りながら、羨ましく眺めていた。

さて、1947年戦後いち早く発売したダットサンDA型は、戦前の復刻版らしい古くさい姿が時代遅れだったが、48年のモデルチェンジでDB型に進化した。

DA→DBでアメリカンスタイルに変身したダットサン:上部ワイパー、上下開閉の窓がクロスレイと違うが、フェンダーの吸気口までそっくり

DB型は、古色蒼然から一気に角が取れて丸味を帯び、アメリカンスタイルに変身したが、ふと気が付くと、何処かで見たことがある…そう米国のクロスレイと瓜二つだった。(トップ写真:米国製小型車クロスレイ。左ハンドル・ドアミラー・ワイパー位置・引違いドア窓が、ダットサンとの相違点)

今なら早速トランプ大統領が食らいつき、国際裁判沙汰になり、間違いなく日産敗訴になるだろうが、不思議なことにクレームが付かなかった。

理由は未だに判らない…戦勝国ならではの大きな気持ち、はたまた敗戦国の車など眼中になかったのか、それとも気が付かなかったのか、いずれにしても疑問が残る不思議な出来事だった。

 

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