昔、米国には高級車が山ほどあった。デューセンバーグ、パッカード、ピアースアロー、オーバーン、コードなどいろいろ。
が、WWⅡ前後の生残り頃合戦の末、戦後に残ったのはキャデラック、リンカーン、クライスラーインペリアルだけだった。
WWⅡ後リンカーンは、大統領公用車だから高級さでは一流だが、実際にはコーチワークだから、一般客に販売するリンカーとは別物である。(トップ写真:リンカーV8フェートン1926年。サンディエゴの億万長者トーマスEシャープの注文でマーフィーコーチビルダー社が一台のみ製作/$15.000。)
淘汰が進んだ米国の、戦後暫くはビッグスリー体制だったが、やがてインペリアルが消えたクライスラーはダイムラーの傘下に入り、現在はフィアット傘下だから、今の米国はビッグツーである。
現在民族資本のGMとフォードはライバル同士だが、両者のフラッグシップカーである、キャデラックとリンカーンのルーツをたどると、意外や同一人物にたどり着く。
技術屋ヘンリー・マーチン・リーランドが、精密機械製造会社をデトロイトに創業したのは1890年で、彼の高い技術に目を付けたランサムEオールズがエンジン200台を発注して、世界初の量産車オールズモビル・カーブドダッシュが誕生する。
車の評判は良かったが、エンジンの再発注はなかった…当時の常識より二割ほど髙出力だったが、値段も高すぎたのである。
が{捨てる神あれば拾う神あり}の諺どおり、彼の技術に惚れ込んだ出資者が現れ、1902年キャデラック自動車が創業されて、順調に発展したあと、GMファミリーになる。
やがてWWⅠ開戦で、軍が発注したパッカードV12 航空発動機生産をGMが断ると、リーランドは退社…17年にリンカーン社を創業、航空機発動機製造に精を出すが、終戦で需要を失った。
飛行機から自動車転向は世界的によくある現象で、20年に完成のリンカーンは、技術的に最高の出来映えだった。が、ドイツのマイバッハ同様、優れた技術者かならずしも優れた経営者ならずで、重役と衝突、ヘンリーフォードに助けを求めた…が、乗り気ではないフォードをよそに、息子エゼルが興味を示し買収が決まった。
が、頑固一徹のリーランドはフォードでも衝突、22年に追い出されてしまう。以後リンカーンは、長男エゼル・フォードの手で、世界一流の高級車に育てられていったのである。
リンカーンが高級車の地位を確立したあと36年に発売した、廉価版ゼファーの流線型は空力ボディーのさきがけで、世界のベンチマークとなり、ポルシェも賛同、VWビートル誕生に結びつく。
父親ヘンリーの合理優先主義に対しエゼルは先見の明・芸術的センスに優れ、この相反する感性でしばしば衝突するのだが、43年父より先に早逝するが、常識通り父が先ならフォードの発展は今日とは違っていたかもしれない。
これでキャデラックとリンカーンが同じ先祖、同じDNAの持ち主ということが判ったが、もしリーランドがホンダの藤原やソニーの盛田のような人物に出会っていたら、キャデラックは別な発展を遂げたろうし、リンカーンは存在しなかったろう。