ナゴヤ打ち・蟹の横歩き・レインボー作戦、そんな流行語が生まれたのは1979年。喫茶店を中心に全国28万台ものインベーダーゲームのせいだが、7月のピークの後あっという間に消え去った。
北国の春/千昌夫・想いで酒/小林幸子・ブランデーグラス/石原裕次郎・舟唄/八代亜紀・ガンダーラ/ゴダイゴ・愛の水中花/松坂慶子・異邦人/久保田早紀などの唄が流行った年でもある。
このころ日本自動車業界は、頭が痛い問題を抱えていた。
米国議会が火を点け、世界に波紋を拡げた排気ガス規制だった。その中で積極的に取組み開発をリードしたのが日本。各社知恵を絞り、いろんな仕掛けを考案、暗中模索の世界とは裏腹にクリーン化が進むにつれて、パワーダウンという難関が待ち受けていた。
50年規制→51年規制→53年規制と段階的に厳しくなる排ガス浄化に対しては、DOHCや電子制御燃料噴射など燃焼効率向上や、排気ガス環流、触媒などで対処したが、当時の技術でパワーダウンだけはどうしようもなく、新技術が必要になった。
その解決策の一つとして登場したのが、ターボチャージャー/TBだったが、日本に自動車に装備できるTBはなかった。そこで白羽の矢を立てたのが米国エアリサーチ社だった。
WWⅡの戦中を知る私達にTBは忌み言葉である。
戦争中、日本上空を高高度で悠然と飛ぶボーイングB29爆撃機に日本戦闘機は刃が立たず、悔しい思いの原因がTBだったからだ。(写真右:2200馬力/三気筒毎にTBx1で合計6個、日本では羨ましい贅沢装備だ)そのTBは戦後も生き残り、多くの分野で利用発達し、自動車にも採用されたが、馬力競争を排気量拡大で戦う米国では発達しなかった…そんなTBに目を付けたのが日本。79年、セドリック&グロリアで日産が初見参、80年登場の二番目はトヨタ・クラウンだった。
セドグロ搭載のL20型エンジンは、直六OHC・1998ccで125馬力/6000回転・17.0kg-m/4400回転だったが、エアリサーチ製TB装着のL20-ETは145馬力/5800回転・21kg-m/3200回転で、パワーアップ率は、クラウンとほぼ同等だった。
21世紀に入り、日本自動車市場はトヨタ一人勝ちの感があるが、当時は両者対抗意識丸だしで、セドグロのフルモデルチェンジではクラウンに先行し、追加車種のTB搭載でも先行したことを、開発者達が得意そうに話したのを覚えている。
エンジン以外も同様、当時流行、ボディーのハードトップでも「クラウンにはピラーが残っているが我が社はピラーレス…米国発祥の完全ハードトップだ」と自慢気だったが、今なら強度問題も加味され、どちらに軍配が挙がるのだろうか。