【車屋四六】マツダとカーofザイヤー

コラム・特集 車屋四六

世界中の自動車会社は、幾度かの危機を乗り越えた生き残りである。今回取り上げる、マツダも何度も危機を乗り越えてきた。(写真トップ:初代FFファミリ。報道試乗会は千葉南端の平砂浦で写真は半島の先端野島崎漁港)
バブルが弾けた、一時期フォードの傘下に入ったこともある。

面白いことにはマツダでは、低空飛行から上昇に転じる節目ふしめにカーofザイヤーが絡んで居るようだ…どうやらマツダには、カーofザイヤーが幸運の神のようだが、特にRJC/日本自動車研究者ジャーナリス会議の神様は、マツダが好きなようだ。

1977年、マツダの傾いた屋台骨をピンとさせたのはFF初代のファミリア。が、その頃、RJCは発足前なので、受賞は日本カーofザイヤーだが、私もかつては、其処の選考委員だった。

RJCが発足してからは、96年にデミオが受賞。そして2003年にアテンザ、04年はRX-8と受賞しながら、どんどん元気を取り戻していった。

96年受賞車デミオの試乗会は河口湖だった

マツダではないが、93年スズキ・ワゴンR受賞、94年ホンダ・オデッセイ受賞、99年セドリック/グロリア受賞&05年フーガ受賞。
どの会社も受賞を節目に低空飛行から上昇に転じている。

もっとも、社風でRJCから距離を置いていた某社社長と会食した時のこと「RJC受賞車は売れるんだな~」と述懐し、薬になぞらえた別の某社長は「あれは効くよ」と喜んでいた。
RJC受賞と上昇飛行への時期が偶然一致したかもしれないが、各社受賞を期に、業績が好転したことは事実である。

さて、ファミリアそのものは、マツダ車の中では最長名を誇った車種だが、前記受賞のファミリアは、FF+2BOXの使い勝手の良さをベースに、CPの高さが理解されたのだと思われる。

さてファミリアは車名。製造元の会社名はマツダだが、マツダの名が生まれた時は、社名でなく車名だった。当時の会社名は東洋工業で、太平洋戦争前の1931年創業。そして、戦前から戦後暫くは、三輪貨物自動車で鳴らした企業だった。

また、マツダは創業者・松田の意でもあるが。実はペルシャ語で{最上の光}なのだそうだ。だからスペルは{MAZDA}でヘボン式ではないのである。

私が子供の頃{マツダ}という電球があった。東芝製なのにマツダ?子供心におかしいと思ったら、扇風機にも書いてある。調べたら、米国のマツダ社製品のライセンス生産と判った。

RJCには、カーofザイヤーだけではなく、マンofザイヤーというのもある。優れた人物を表彰するものだが、マツダの受賞者は、山本健一元会長と井巻久一社長の二人。
山本はロータリーエンジンの世界初量産化技術を確立実用化した業績の持ち主。また井巻はフォード傘下で青目の社長が続く中、16年ぶりの黒目社長で、素晴らしい経営手腕でイヤーカーを輩出、マツダに元気を取り戻した功績が顕彰理由だった。

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