【車屋四六】シンガーと云ったところでミシンではない

コラム・特集 車屋四六

WWII以前ミシンといえばシンガー、憧れのミシンだった。着物が日常の日本で、洋装をする裕福家庭向けだから、値段が高いは問題はなかった。が、戦後の洋装普及で、たくさんの国産メーカーが生まれても、高価なシンガーは庶民の憧れだった。(写真トップ:WWⅡ以前の姿そのままにMG-TDが街を闊歩していた頃、ごく僅か走っていたのがシンガーSM。クラシックな姿をMGと差別できるのはマニアだけ)

自動車がダイムラーとベンツにより原型が完成したように、ミシンは、1850年米国のI.M.シンガーにより今と同じ機構完成。乗船直前ジョン万次郎購入のシンガーミシンを、ペリー提督が第13代将軍・家定に献上。その先は天彰院啓子。で、日本最初のミシンの使い手は大河ドラマで有名な篤姫ということになる。

で、シンガーといえば日本ではミシンだが、自動車にもシンガーがあるが、もう世界でも知る人は少なくなり、日本では既に忘れられた存在のようだが。

WWII後に進駐軍が持ち込んだことで、我々のほとんどがシンガー車の存在を知った。当時スポーツカーといえばクラシック姿のMG-TD、そしてジャガーXK-120だった。

シンガーSMは、スポーツカーの代名詞でもあったMGにそっくりだったが、当時でも知る人が数ないマイナー的存在だった。MG同様、原型はWWII前で、MGのライバル的存在シンガー・ナインが登場したのは1935年である。

MGは二座席だが、シンガーは四座席で「こいつは良い」と感心した。マイカー時代到来前の敗戦貧乏時代の日本では「高い金払って二人しか乗れないなんて」と誰でも思っていたから。

MG-TDは1250㏄57馬力。シンガーは1500㏄58馬力。馬力は同じようなものだが、低回転でトルクが強く、MGよりは乗りやすく、ずぼらな運転が出来た。

直四サイドバルブエンジンはB73.0xS89.4㎜で1497㏄、典型的ロングストローク型で圧縮比7、58hp/4600rm。四段ギアボックスがシンクロメッシュ。前輪Wウイッシュボーン、後輪半楕円リーフのリジッドアクスル、後輪駆動は当時の常識的機構だった。

アメリカ車が未だ6Vだった1950年前後、既に12V電源で、車重791㎏という軽量さを生かして、運動性は軽快だった。500×15タイヤを履き、46リットルの燃料でロングドライブが出来た。

シンガー・ロードスターはMG同様にスチールボディーだが、イギリス初のプラスチックボディーのシンガーSMXも登場して、意外な時代の先取り意欲を見せたが、日本の路上で見ることはなかった。

シンガーSMX:日本ではとうとう見ることができなかったが、シンガーのスポーツカーにはFRP製斬新なロードスターがあった

48 年になると、SMのシャシーを流用した2&4ドアセダンのSM1500を発表、フォードアの方は観音開きが特徴だった。ひと頃タクシーで走っているのに乗ったこともあるが、あまり快適な乗り物ではなく、姿かたちも良くなかった。(全長4483x全幅1600㎜。WB2730㎜。車重1145㎏)

シンガー社がコベントリーで産声を上げたのが05年だから、英国自動車業界では老舗だが、55年にヒルマン、ハンバー、サンビームなどのルーツグループに吸収された。で、ヒルマンベースのシンガーが走っていたが、気がつくと消えていた。

そのルーツグループは、64年クライスラーが資本参加して、73年には完全にクライスラー傘下に入る。が、クライスラーの経営悪化で、78年にプジョーに売り渡された。

イギリスからアメリカ、そしてフランスと歩いたシンガーは、フランスではプジョータルボの名で、しばらく市場に登板していた。いずれにしても伝統の”シンガー”というネーミングが市場から消えたのは、70年と思えばいいだろう。

さて、シンガー創業の05年(明38)は、NHK-TV”坂の上の雲”の終末で登場するであろう日露戦争、旅順陥落、奉天会戦勝利、そして日本海海戦の決定打で大国ロシアに勝利した年である。

シンガーのスポーツカー登場の35年(昭10)頃は、台湾、朝鮮を意のものにした日本が後ろだての満州国に”20カ年100万戸500万人移出計画”の名の下に、満州地固めの真っ最中。日本帝国主義の植民地政策が最後の段階を迎えていた頃である。

48年シンガーSM1500が生まれた年、GHQが禁止した日の丸掲揚解禁、為替レート1ドルが360円に決定。東京都が失業対策事業で労務者の日当を一日245円と決めたことで、労務者をニコヨンと呼ぶようになる。日本経済は朝鮮戦争の特需で徐々に敗戦後の痛手から回復のきざしが見え始めた頃だった。

SM1500:クラシックなロードスターに加えて、フォードアサルーンも開発したが、あまり売れなかった。日本にも少々輸入されたが、乗り心地も悪く姿の悪さで人気がなかった