1983年度の流行語{オシンドローム}の語源はNHK朝ドラ{おしん}。TV最高視聴率60%強を記録した橋田壽賀子原作…小林綾子→田中裕子→乙羽信子と引き継がれたヒロイン三代の奮闘記は、今でも全世界で放映される傑作ドラマとなった。
同年、ロッキード事件で田中首相失脚→次の三木首相の後任中曽根{康裕}首相は、空転国会という非常事態に耐えていた。で、家康の名文句「鳴くまで待とう…」・糖尿病を克服して30才で遅咲き横綱になった隆の里になぞらえ{おしん・康裕・隆の里}なる流行語も生まれた。
当時世間は好景気、バブルに向かって行けいけドンドン。そんな時代背景の中、存在感を示したのがマツダのRE軍団だった。
67年に誕生したロータリーエンジン/RE搭載の初代コスモスポーツが途絶えてから久しい75年に、コスモが誕生した。そして82年に二代目へと進化する。
フォードア・ハードトップの姿が斬新な二代目は、2000ccレシプロエンジンで登場の後、REとREターボを追加する。
そのターボの心臓は、654ccx2ローターの13Bではなく、573ccx2ローターの12Aを搭載していた。コンパクトと廉価軽量化が目的だったのだろう。
写真トップは、83年登場の特別仕様車、REターボのツードアGT。四輪ベンチレーテッド型ディスクブレーキとアルミホイール標準が自慢。
全長4690㎜、全幅1690㎜、車重1200kg。前ストラット/後セミトレリーングアーム。REターボは、電子制御燃料噴射と相まって160馬力を絞り出していた。
が、コスモREターボの上級車種リミテッドが248万円なのに対し、このGTは196万円と安く、REファンの若者に歓迎された。
振り返ると、マツダのREが一番充実していた時期は70年代で、ファミリアやカペラ、サバンナなどが活躍していた。
また日本製では最大級の大型車ロードペーサーは、オーストラリアGMからボディーを輸入して、REを搭載していた。
二代目コスモの頃になると、ターボ技術も熟成して、ターボラグも減少、加速時の違和感もかなり和らいでいた。そんなターボ仕様のコスモにはフォードアもあるが、オーソドックスなサルーン形式のルーチェにもREターボは搭載されていた。
RE軍団の最先端は、もちろんRE専用に開発されたスポーツカー、サバンナRX-7。輸出先の米国では、フェアレディーと共にポルシェと一騎打ち、おかげで、とばっちりを受けた数々の欧州老舗スポーツカーメーカーを引退に追い込んでいった。
が、そんな勢いも長くは続かず、突然不幸がマツダを襲う…石油ショック…世界中が省エネ気分になる中で「REは大食い」とレッテルを貼られて、社業は右肩下がりに転じたのである。
で、再建策でフォードの傘下に入り、REは廃止に決まったかに見えたが、しぶとく生き残り、RX-8誕生でファンは胸を撫で下ろしたものである。