1952年の300誕生で高級車メーカーの地位を取戻したベンツは、57年に米国市場のハードトップ流行に合わせて、側面のシックスライト全ての柱を取去り、これぞ完璧というハードトップに変身した…そして燃料噴射になったエンジンは160馬力にアップし、手動変速機はオプション、ATが標準と装備が逆転した。
以前、バンコク王室の600を紹介したが、それはWWⅡ前に世界の王侯貴族金満家に愛された、グローサーメルセデスの復活を狙ったもので、63年のフランクフルトショーが初お目見えだった。
このシリーズの正式名称は{グローサーメルセデス}。WWⅡ以前に世界の王侯貴族に愛されたグローサーシリーズの復活を狙ったもので、その600が檜舞台に登ったのが63年のフランクフルト自動車ショーだった。(写真トップ:麻布十番に近い我が家近くの駐車場に駐まっていた600セダン)
1963年と云えば昭和38年のこと。フランスでは{ジャッカルの日}で知られるドゴール大統領暗殺計画、ベトナムで反戦僧侶の焼身自殺、ケネディー大統領暗殺、力道山チンピラに刺されて死亡、鈴鹿サーキット完成で日本初グランプリ開催、TVでは「鉄腕アトム}{鉄人28号}{エイトマン}{狼少年ケン}などの漫画ブーム、日本を含めて世界は、そんな情勢だった。
当時、日本では、ブルーバード、ホンダS600、ベレット1500、コルト1000、プリンススカイライン等で、ようやく世界の乗用車レベルに追いついた頃だった。
そんな時代にドイツで登場したのが600プルマンリムジン、同じ敗戦国なのに、さすが自動車先進国ドイツとでは、雲泥の技術格差を感じたものだった。
戦後、ドイツ初のV型八気筒M1は、戦後の欧州では最大排気量で、SOHC・6332cc・ボッシュの燃料噴射装置で300馬力/4000回転と公表された。変速機は四速型で、リミテッドスリップデフを装備、最高速度がセダンで205㎞、プルマンで200㎞。巨体ながらゼロ100㎞加速が10秒という俊足を誇ったのである。
写真で判るように、車体は長短二種があり、六座席セダンはホイールベース3200㎜、八座席リムジンが3900㎜。きわめて長い全長は、それぞれ5540㎜、6240㎜だった。
もちろん車重は重く、セダンが2.4トン、リムジンは2.6トンもあり、いずれにしても周囲を圧倒する巨大な姿だった。
サスペンションは空気バネ式で車高調節可能と、考えつく当時の最新技術、装備を投入した豪華な高級車だった。
そして下手なスポーツカー顔負けという、優れた操安性も兼ね備えていた。で、VIPを乗せて制限速度無制限のアウトバーンを疾走したのである。
その後、メルセデスでは超高級なマイバッハの注文生産を始めるが、600も注文生産で、63年から75年までの全生産量は、セダン2009台、プルマンが409台だった。
余談になるが、かなり前に、ビートルズのメンバーの一人が愛用した600プルマンがオークションに出て話題になった。