【車屋四六】日本で唯一台の我が愛車ベンツ219型

コラム・特集 車屋四六

写真トップは東京港区東麻布。幸いにもこの辺りは爆撃で焼けなかったから、戦前からの木造家屋の住宅街で、塀の向こうは我が家で、昭和30年代は路上駐車OKだった。

木製電柱前に駐車するのは我が愛車、1956年型ベンツ219型。
ナンバー{3せ6379}。当時は一行の番号が上下二段になった頃で、上段頭に付く車検所在地名が東京だけはなかった。

親友自動車評論家・故佐藤健司が慶大自動車部の頃、部活動で移動中の青森で警察官に捕まった…「地名がない盗難車に偽造番号」が不審理由…「東京は地名なし」と云っても駄目、駐在所ですったもんだのあげく警視庁へ電話して無罪放免になったそうだ。

219の後姿:ブロック塀の向こう中央二階建てが我が家

さて話を戻すと、当時ヤナセの正規輸入ベンツは、180型と220型に最高級車大型の300だったから、正式に日本に219型が存在するはずがなかった。当時日本は敗戦後約10年を経た頃で外貨不足で。在日米軍兵士家族、外交官、在住許可のある第三国人を除き、日本人相手の輸入車販売が禁止されていた。

結果、購入代金をドルで払える人達だけの輸入外車だったが、彼等が二年間使えば、通関/輸入手続き後に日本人が買える仕組みになっていた…で、輸入後、まる二年を経た車が、日本人の新車ということになるのである。

そんな時代に、新車をドイツで買って、日本に持ち込むという離れ業をやってのけた人が居る。で、この219型は、日本にはたった一台しか存在しないという、希な車だった…で、その人物とは、東和映画の川喜多長政社長。WWⅡ以前から欧州映画を輸入して、大衆を楽しませたという功績で、勲章を貰った有名人である。

吉田茂が首相時代に、英国からジャガーMK-Vを輸入した事例があるが、著名人だからといって、特別に輸入を認めるほど日本政府は、甘くはない。

話変わって、爆撃で荒廃し敗戦で混乱した経済の戦後の日本で、最大の大衆娯楽の一つが映画だった。それを欧米から輸入して、日本中を楽しませた東和映画は、パリ支店の開設も許されていた。

で、現地購入した社用219型を、中古車持ち込みという手段だったのだろうか。が、当時の状況では、それも違法だったろうが、担当役人の温情でとも推測するが、大の洋画ファンだったのかも。

当時180型は四気筒、220型六気筒2195ccで219型も直六搭載。が、220の120馬力/160粁に対して219型は100馬力/145㎞で差別化されていた。要は四気筒じゃ駄目だが値段高いのは嫌というベンツ愛好者御用達が219だったのである。

東和映画の219は私の茅場町カブトオートセンタで整備給油していた。ある日「車入れ替えるから買い手を探して」の話しで私のガレージ、いや路上にやってきたのである。

1966年パリで川喜多さんを訪ねたら留守で、社長のジャガーMK-Ⅱを貸してくれたので、便利に乗り回しこともあった。

東和パリ支店で借りた川喜多社長のジャガーの給油中、左は筆者:米国ナンバーの英国車はフランス人の入知恵で何処に駐めても駐車違反で捕まらなかった…裕福な米人観光客思ったのかも