【車屋四六】ベンツのエンジンと自動車完成

コラム・特集 車屋四六

ダイムラーの二輪車が走った半年後にベンツの三輪車も走る。
「史上初は」と聞かれたら「ダイムラーとベンツ」と答えたい。お互い知らずに150㎞ほど離れた町で努力していたのだから。(トップ写真はベンツ開発の4サイクル電気点火高速内燃機関)

1844年生まれのカールFベンツの家は代々鍛冶屋だが、父親は蒸気機関車の運転手…当時は大型客船の船長ほどのエリート職業だったようだが、カール誕生直後に死亡した。
カールは母の手で育てられたが、鍛冶屋のDNAが活きていたようで、優秀な成績でカールスルーエ工科大学を卒業した。

卒業後は馬車製造で働き、次のガスエンジン工場では2サイクル・ガスエンジン開発に成功し頭角を現す。また電気式点火装置は後のダイムラーのホットチューブ点火に取って代わる開発だった。

自信を付けたベンツは退職し、宮廷写真師ビューラーや実業家シューマッハなどの出資を得て開発を続け、1883年に創業する。
この会社が作る2サイクル1~10馬力エンジンは好評で、勢いづいて4サイクルエンジンの開発に熱中するが、その目標は自動車で、ダイムラーの多方面汎用とは一線を画していた。

1896年ついに史上初三輪自動車を完成。こいつは自動車としてはダイムラーの二輪車より進んだ実用可能な完成度だった。後に前輪に緩衝スプリングを付け、ウッドスポークホイールに改良したものが、少量だが販売されている。

史上初の三輪自動車:キャスター角なしの前輪は異様な感じ。車輪はワイヤスポークにソリッドゴムタイヤ。座席右下に特許自動車の真鍮プレート

この三輪車でベンツは特許を取得{ベンツパテント自動車}の商標で売り出した。いずれにしても、自動車目的で開発したベンツの車と、エンジンを馬車に搭載したダイムラーの自動車と比較すれば、かなりの差が生じるのは当然だった。

単気筒電気点火方式エンジンは4サイクル954cc・1~2馬力/400回転で水の気化熱で冷却。チェーン駆動のRR。車重263kgのうち90kgがエンジン重量。最高速度12㎞だった。ベンツの自動車開発では、夫人の活躍が語り草になっている。
三輪車が完成したある朝、カールが目を覚ましたら、車がないと慌てたら、ベルタ夫人と二人の子供も居ない。
夫に内緒で、106㎞離れた祖母の家に出掛けたのである。

給油所がないから薬屋で染み抜きベンジンを買っては注ぎ足し、坂道は子供に押させ、幼稚なブレーキには靴屋で革を取り付けさせ、無事祖母の家にたどり着いた。

家族と車の無事帰宅でカールが喜んだのは勿論だが、夫人の報告と提案でベンツの車は実用的に大進歩するのである。変速装置開発、ウッドスポークに換え、ブレーキにはパッドを、前輪に緩衝装置、エンジンをカバーで覆った三輪車が発売された。

このドライブでベルタ夫人は史上初を三つ成し遂げたのである。1.自動車による長距離ドライブ。2.女性による自動車運転。3.史上初の交通違反…ドライブ決行の1888年当時、ドイツでは原則公道での自動車運転は禁止されていたのである。

パテント・モトール・ワーゲン“ベンツ”の名で売りだしたベンツの広告:馬車技術を生かした木製車輪、リーフスプリングで緩衝する前輪・革パッドの付いた後輪ブレーキ・エンジンカバーや蝋燭の燈火は前照灯というよりは人や馬車に存在を示す燈火だと思えばよかろう。手前はベンツ自身と云われている

 

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