1970年代は、60年代まで憧れだったアメリカ車の人気が未だ我々の頭の隅に住み着いていた。
60年代の日本は、そろそろ敗戦貧乏から抜け出そうという時期だったが、日本製乗用車は実用優先で人を運ぶ道具でしかなかった。もっとも遊び心を盛り込んでデザインをしても拒否反応を示しただろうし、一部の金持ちはアメ車至上だった。
が、実用的な軽自動車が完成の域に達し、サニーやカローラの成功で、曲がりなりにも日本にもマイカー時代が到来する。夢にまで見た乗用車が我が家にある、そんな生活も時間が経つにつれ、ついこの間までの耐乏生活も忘れて、人間とは持ち前の贅沢心が目覚めるのである。
特に若い人達は車に多様化を求めだした。言うなればスペシャリティーカー。そんな市場の要求に敏感に反応したのがトヨタで、第16回東京モーターショーに“EX-1”を出品したが、今で云うコンセプトカー、アメリカのショーではドリームカーと呼ぶたぐいのもので、注目度は高かった。
ショーでの手応えよしとみるや、早速市販車に仕立て直して発売。初代セリカの登場だ。日本初のスペシャリティーカー、そのスポーティーな姿の発表は、昭和45年10月だった。そしてヤングユーザーの心をがっちりと掴んだのである。(写真トップ:最初に登場のセリカ・ノッチバック。長年日本人マニア憧れのスポーティーカー、フォードムスタング流スタイリングが斬新だった)
これまでの日本には存在しなかったスタイリング、いかにもパーソナルユースらしい車を走らせる優越感、それにスポーツカーのイメージがダブっているのだから鬼に金棒、いやが上にもムードを盛り上げたが、さらにムードを盛り上げる要因があった。
戦後の日本、進駐軍の駐留以来、買える買えないはともかく、アメリカ車は日本人の憧れとなった。その憧れの中でも、ひときわ人気のフォードのヒット作ムスタングと、セリカのシルエットがダブっていたのである。
2+2クーペのセリカには、下からET、LT、ST、GTと4グレードがあり、エンジンは1.4L、1.6L。4MT、5MT、3AT(トヨグライド)。それに豊富なオプションパーツを希望で組み合わせて契約する。
契約事項は、販売店から即座にオンラインでメーカーのコンピュータに入力され、自分仕様のセリカが生産されるという、画期的生産販売方式が取り入れられたのも話題になった。そのオーナーの好みで仕立て、短期間で生産納車するシステムを、トヨタは“デイリーオーダーシステム”と名付けて宣伝した。
売れ筋の1600LTデラックスSは、2T-G直四OHV、圧縮比8.5で100ps/60000rpm、13.7kg-m/3800rpm。全シンクロメッシュの4MTはスポーティーイメージのフロアシフト。
全長4165㎜、全幅1600㎜、全高1310㎜、ホイールベース2425㎜。車重880kg。最小回転半径4.8m。定員5名。最高速度170粁。ブレーキ:前ディスク/後ドラム(真空倍力装置付)。タイヤ:5.60-13-4p。販売価格:69.7万円。
発売後のセリカは好評で、77年にリフトバックを追加したが、こいつの姿はまるでミニチュアのムスタング・クーペだった。で、初代セリカは、人気継続で6年8ヶ月も生産されて、人を運ぶ道具ではないスポーティーな乗用車の面白さを、創世記のオーナードライバーに教えてくれたのである。
ちなみにセリカとは、“天上の聖なる・神々しい”という意味のスペイン語。神秘的な中にも、男性的強さと宇宙のイメージと車のイメージとの結合を願ったというような解説だった。