【車屋四六】親方日の丸的経営の首都高

コラム・特集 車屋四六

85年500円に値上げした首都高料金が、87年僅か2年で600円に。これに腹を立てた何処かの社長が「俺は認めない」と、500円+名刺を渡して、不払い運動を続ける報道に、多くの人が拍手を送ったものである。

“人の噂も75日”忘れやすい日本人が600円に腹を立てた事など忘れた94年、首都高通行料は700円に。そもそも首都高最初の通行料は50円、そしていずれ無料ということだったのに。

写真トップの領収証は、63年5月25日(昭38)で、発券が芝浦とあるように、最初の首都高は芝浦から京橋までの4.6㎞区間。営業開始は62年(昭37)12月だった。

敗戦後17年、日本の経済混乱も一団落。契約1000万台突破のTVでは”ベンケーシー”藤田まことの”てなもんや三度笠”鉄腕アトム”スチャラカ社員”などが視聴率を稼いでいた。

自動車では、フェアレディー1500、プリンススカイライン・スポーツ、マツダキャロル、クラウンRT10などが登場した時代。当時若者の間で流行っていたのがツイスト。ラジオからは中尾ミエの♪可愛いベイビーはいはい、橋幸夫と吉永小百合の♪いつでも夢を、などが流れていた。

開通したばかりの首都高は、一年後の63年に早くも値上げ。一気に倍の100円に。これがその後”値上げの常習犯”となる、首都高料金高騰劇の「はじまり始まり」ということだった。

63年は、日本自動車には大変意義が深い年。首都高値上げとは裏腹に乗用車の方は、各社の値下げ競争が激しくなり、ユーザーにとっては嬉しい時代の始まりだった。

その過激ぶりは大したもので、9月18日にブルーバードが値下げをすると、20日にはトヨタは何と7車種一斉値下げの宣言。すると、21日には、セドリックも値下げ断行。トバッチリで両巨頭の争いに巻き込まれた中小メーカーが気の毒だった。

そんな年に登場した新車を並べると、ブルーバード410、ベレット1500、スカイライン1500、ダイハツコンパーノ・ベルリーナ、三菱コルト1000、プリンスグロリア・スーパーシックス、ホンダS500など。

一方、鈴鹿サーキットでは第一回日本グランプリ開催、オートバイは世界選手権日本グランプリ開催、日本モータースポーツ時代の幕が切って落とされた年でもあった。

余談になるが、同じ年、ケネディ大統領暗殺。力道山がヤクザに刺されたのが原因で死亡。ボストーク6号でテレシコワ少尉の成功は世界初の女性宇宙飛行士誕生だった。

さて、本題の首都高だが、64年に一号線と四号線が使えるようになりました、で150円に。69年に全線開通した東名が首都高にドッキングすると早速65年には200円に。

200円から青色になっている。400→500→600、現在700円。よくぞ値上げしたものだ。昭和48年四号新宿線開通記念切符。15周年には無料券を貰ったが未使用

さらに74年→250円。76年→300円と値上げのテンポはエスカレートしっぱなし。80年→400円、そして現在700円。支那事変の頃(日中戦争)♪何処まで続く泥濘ぞ(ぬかるみぞ)という軍歌を子供頃に歌ったのを想い出す。

首都高に限らず、日本の高速道路の料金は、ユーザーお構いなしの値上げ。勘ぐれば、親方日の丸的公団と関連企業の天下りを養うために貢献しているのが、我々ドライバーという構図に腹を立てるのは私だけだろうか。