【車屋四六】グリースサーバーって知ってますか

コラム・特集 車屋四六

ふと気が付くと、いつの間にか消えてしまったという物が結構あるものだ。乗用車なら三角窓、消えそうなのが灰皿とシガーライター、見えないところではニップル。

もうニップルなど若者には死語だろうが、昔といってもWWⅡ以後だが、自動車にはたくさんのニップルが付いていた。もっとも工場の機械などにはまだまだ付いているが。

プロペラシャフトのジョイント、前輪アッパ-アームやロアアームの可動部、後輪リーフスプリングのシャックル、ステアリングリンケージ可動部、ブレーキやクラッチ、サイドブレーキ、ウオーターポンプ、ドアヒンジ、等々、その数ふた桁に余るニップルが車には必需品だった。

エンジンや変速機、デフ、ショックアブソーバーなどのオイルは流動性があるが、ご存じグリースはベトベト。で、力の掛かる部分にグリースを圧力で注入するのにニップルが必要だったのだ。

新車の慣らし運転が必要なほど仕上げ精度が低い頃のエンジンは、1000㎞、1500㎞毎のオイル交換が必要で、定期的グリースアップも義務づけられていた。

グリースアップはガソリンスタンドや修理工場の仕事で、昭和30年代には、コンプレッサーの高圧で圧入するグリースガンが普及して作業が楽になった。

それ以前は、ハンドガンだから作業が辛かった。いずれにしても、ニップルにガンのノズルを固定して、反対側から古いグリースが押し出されるまで新しいグリースを圧入するのだ。

ロールスロイス、ディムラー、ローバーなど上等な英国車には、標準装備工具の中に、小型のグリースガンが付いていた。私愛用のジャガーMK-Ⅶは運転席ドア下部に工具と共に格納されていた。

英国人は金持ちでも質素倹約が美徳だからグリースアップなど自分でやるということだろうが、日本でも毎回そんなものに金を払うのは嫌という人が居て、グリースサーバーなる用品が開発された。

グリースサーバーの解説:ハンドグリースガンで分配機に圧入すればパイプから各ニップルにグリースが行き渡る

写真は60年頃に市販されていたグリースサーバー。60年はNHKとNTVがカラー放送開始の年。が、21型で52万円、17型で42万円では大卒初任給が1万5000円の頃、一般家庭には無縁だった。もっとも量産効果で、一年経てば、52万円が44万円に、42万円は35万円になり、数年でサラリーマン家庭でも見られようになる。

そんなTVでは、山城新伍の白馬童子、ララミー牧場、NHK朝の連ドラ第一作の”娘と私”。ザ・ピーナッツのシャボン玉ホリデーや”夢で合いましょう”など今でも話題の番組が人気だった。

写真(下)は56年型ビュイック、倹約目的商品なのに装備する人は高級車のオーナーに多かった。エンジンルーム内から各ニップルにチューブをタコ足配管。その中心ユニットにハンドガンで圧入すれば、車中のニップルに行き渡るという仕掛けになっていた。

1956年型ビュイックのエンジンルームに取り付けた実物で注油の説前。分配機が二個有るのは車の左右片方ずつを担当

で、倹約家オーナーばかりではなく、1500㎞毎、1000㎞毎では不安という神経質な心配性オーナーも愛用していた。実はこのユニットを最初から装備している英国車もあった。

私のローバーのは、グリースではなくエンジンオイル。運転席でインパネのポンプを押すと各部に行き渡る仕掛けだった。が、走行中にやると、余ったオイルが少々道路にこぼれることになるのだが。(写真右:私が乗っていたローバーと同型の65型。65型は四気筒、75型は六気筒。プログレのように小さなロールスロイスと呼ばれた)

基本的にはブレーキオイルと同じような缶にエンジンオイルを満たす。買ったばかりの頃、箱根から帰ってオイルポンプを押して家に入った。翌朝のガレージは床が油だらけ。ポンプの押しすぎだった。それからは、少々気がとがめるが、走行中にやっていた。