【車屋四六】昔はドリームカーと呼んでいた

コラム・特集 車屋四六

さて困った、というのが写真トップの車。メーカー名が判らない。が、アメリカのショーモデル。いうなれば”ドリームカー”。少し目的は違うようだが、今様の言い方をすればコンセプトカーと同類だ。

昔、世界最大の自動車生産国で世界最大の消費国アメリカの自動車ショーは、それは華やかで、世界の注目を集め、アメリカの各社がこぞって展示したのがドリームカーだった。

WWⅡで連合軍勝利の原動力となったアメリカは、戦後の世界経済を主導し、世界中の富が集まったかのように活気づき、優れた商品を洪水のように世界に供給したものである。

兵器生産から本業に戻った自動車産業も、続々と光り輝く大型乗用車を供給したが、それが最も充実していたのが、50年代、60年代だった。

ショーを飾り、見る人達をわくわくさせ、夢を持たせるドリームカーのほとんどは、景気の良いアメリカ企業から、イタリアのカロッツェリアに発注された。

御承知のようにカロッツェリアは、王侯貴族金満家御用達の特注品製作が商売だったが、戦後の欧州では旧来の金満家からの発注が激減、青息吐息の所に新興金持ち国からの発注は、恵みの雨のようだったろう。

当時の貧乏国日本でそんな車を見ることは皆無だったが、アメリカの天然色印刷の自動車雑誌を手に入れては、溜息をつきながら見入ったものである。

写真の車はそんな時代が到来する初期の作品と思われる。が、同時代の金持ちが注文の一台限りの作品かも知れない。というのも手元の資料の中に、この車の資料が見当たらないからだ。

年代的には、50年頃だろう。前窓が二枚に分かれていること(数年後にはガラスはワンピースになっている)。記憶では51年のGMビュイックのドリームカー、ルサーブル(ラセイバー)に似ている。

また、先端のジェット戦闘機の吸気口もどきは、売り出してから、前後が判らないと大きな話題を提供したスチュードベイカーや49年型フォードそっくりだ。

いずれにしても50年直前からアメリカ車が好んで選んだモチーフは、朝鮮戦争で初登場、ソ連製ミグ戦闘機と戦った強いジェット戦闘機である。

ソ連製ミグ15戦闘機:中国人パイロットがF86を初めて撃墜した記念すべき機体。北京航空博物館に展示。パイロットは未だ存命のようである

またリアフェンダーにも吸気口があり、こいつは後のキャデラックに取り込まれている。バンパーのイメージは私の記憶のルサーブルだから、この車、もう一台ルサーブルがあったのかも知れない。

とにかく、今回は訳の判らない車の話で失礼しました。