【車屋四六】コルベットより古いアメリカ製スポーツカー

コラム・特集 車屋四六

昔、米国には数多くの自動車メーカーがひしめいていた。WWⅡ以前はともかく、戦後も生き残りの老舗や新顔が生産再開したが、結局は、GM、フォード、クライスラー主導で淘汰消滅合併が繰り返されて、たった三社になってしまった。

もっとも、アメリカにもイギリスのようなバックヤードビルダーもあり、物好きや車フリークがこうじた小メーカーが生まれては消えていった。もちろん乗用車有り、スポーツカー有りである。

今回紹介するのは、生産者名のR.マンツの名を冠したマンツ。Mr.マンツはカリフォルニアでは名物男だったようで”マッドマン”の異名を持っていたそうだ。

ちなみに、マッドマンは字引で”狂人”。どう狂人なのかは知るよしもないが、ラジオやTVの製造工場を持ち、その宣伝がまことに派手だったという。またスーパーセールスマンの異名もあり、中古車販売店網のオーナーでもあったらしい。

そんなマンツがある日自分の車を造ろうと思い立つ。が、マンツは技術屋じゃないから、49年~50年にかけて36台ほどを生産したカーチスの製造権を20万ドルで手に入れた。

その”カーチス”は、二座席ロードスターでホイールベース2500㎜。ダートレーサーでは数々の傑作を生みだしたフランク・カーチス開発のスポーツカーだが、4600ドルと云うから手作りらしくかなりな高額商品。

それのホイールベースを2825㎜に延長、四座席のコンバーチブルとハードトップを完成し、自身の名を付けてマンツの名で売り出したのである。

マンツは51年~54年まで生産販売された数が394台。20年ほど前に米自動車ジャーナリストが「394台のうち生き残って走れる状態にあるのは49台」と云っていたが、海外に渡ったのもあり、その辺は判らないと云っていた。

マンツの値段は5500ドルほど。この時代まだ健在の戦前からの老舗高級車パッカードに並ぶ値段だから、えらく高価なスポーツカーである。で、たくさん売れなかったのも判るような気がする。

この種の車ではエクスカリバーと共に知られているパンサーのLAのショーで見たカリスタ。V8搭載で加速を自慢していた

ちなみに、同じ頃英国製スポーツカーで有名なジャガーXK-120の米国販売価格が3500ドルだったことからも、相当なものだということが判るだろう。

51年型マンツの諸元を紹介しておこう。全長4450㎜。車重1500㎏。タイヤ760-15。キャデラック用V型八気筒OHV、5296㏄、圧縮比7.5、160hp/3800rpm。変速機はGM製ハイドラマチック4AT。

進駐軍の将校が一台日本に持ち込んだという噂を聞いたことがあるが、見ていないのが残念である。

マンツが誕生した51年の日本は終戦6年目。ユニークな三輪乗用車ダイハツビーや主にタクシー向けトヨペットSF誕生の頃。カイザーフレイザー社ヘンリーJの三菱ライセンス生産車も登場。日本初LPレコード発売。ガソリン統制が撤廃され、木炭車がガソリン車に戻れるようになった年でもあった。

これもLAショーで見つけた車だが名前は忘れた(画質が悪いのは御容赦を)