【車屋四六】トラクションアバンには楽しさ一杯(2)

コラム・特集 車屋四六

続いてシトロエン11CVの話。

パリからドゴール空港に向かう中間あたりだろうか、シトロエンの工場があり、其処に立派な資料館があって、400台もの歴史的シトロエンが収蔵されている。もちろん有名なトラクションアバン 、1934年生まれの11CVも、20年間ほどのシリーズのほとんどが顔を並べている。

トラクションアバン(Traction avant)はフランス語で前輪駆動。日本語の通称ではFFだが、この表現は世界では通用しない。英語圏ではフロント・ホイール・ドライブ=FWDである。

FWDの実現には、この世に自動車が生まれた頃から、たくさんのエンジニアがトライしているが、巧くいかなかった。そんなFWDを完成の域に、そして量産に成功したのがシトロエン。量産世界初のFWDなのである。

現物の初期型は、トヨタ博物館で上手にレストアされたのが展示され、これまでは其れを紹介に使っていたが、今回は、パリの工場で、わざわざ工場の表に引き出してくれた、1939年型11CVの写真を紹介する。

鍋島さんの1953年型シトロエン11CV。トランクが出っ張っている。鍋島夫人との比較で車高の低さが判るだろう。シルバー塗装は後からのもの

日本で塗り直したシルバーの方は、親友、鍋島俊隆所有の1953年型。当時の彼はシトロエンが好きだったようで、合計二台も持っていた。写真は、昭和35年頃だろう、確か軽井沢からの帰京途中、中山道で高崎を過ぎた倉賀野あたりの橋の上だったと思う。

ちかごろ軽井沢行きの道中は楽なものだが、そのころは碓井バイパスどころか関越道も首都高もない時代、舗装が破れた凸凹道を、ひたすら走り続けなければならなかった。倉賀野を過ぎ、戸田橋、池袋と通過して全行程4時間あまり、夏の渋滞時にぶつかれば、8時間以上もかかることもしばしばだった。

ここで、はからずもWWIIの、戦前戦後が並んだわけだが、見事にシルエットは同じだ。が、1953年からリアに、収納量が増えたトランクが張り出したのが、大きな相違点である。

日本自動車業界は、アメリカの悪い習慣を真似たせいで、モデルのフルチェンジは4年ごとが標準になっているが、ヨーロッパでは8年前後が当たり前だった。が、シトロエン11CVは、ナント1934年に登場して、最後のモデルが1954年、実に同じ車を20年余も造り続けたことになる。

“優れた車は時代を超越して生き続ける”が、シトロエンの持論と聞いたことがあるが、変えようとしない頑固さも必要だろう。こいつは、T型を作り続けたヘンリーフォードにも共通するが、シトロエンは、H・フォードの信奉者だった。

前にも述べたことだが、フランス人は変わり種を生みだすのが得意で、それを受け入れるユーザーの存在も見逃してはならない。トラクションアバンも変わり種の1台だが、自動車としての実力も兼ね備え受け入れられた。論より証拠、自動車王国のイギリスでもライセンス生産されたことでも証明できる。

四隅一杯に張り出したタイヤ、ワイドトレッド、低い車高、低い重心、操安性では見るからに優等生だが、実力の方も警察が採用したのがそれを実証している。全高僅か1210㎜は、ヒロッペが愛称の鍋島夫人との比較で納得がいくだろう。

昔、フランスの名優ジャン・ギャバン主演の映画で、彼が刑事なら悪漢を追うのがシトロエン、ギャングの時は追うパトカーを振り切るのもシトロエン、といった場面を懐かしく想い出す。

34年、先ず7CV登場、直後に主流になる11CVが登場。当時としては斬新なOHV1991㏄直四は、20年後に登場するDS19にまでという長命を誇り、53年型では圧縮比6.5で56hp/4250rpm。

50年代までの乗用車は車高が高かったから、11CVの低さは異様で、それはシャシーがないモノコックボディーから生まれたものである。プロペラシャフトがない床は見事にフラットで、キャビンは広々。全長4440㎜、全幅1670㎜と大柄な割に、軽量で1174㎏。

シトロエンのボディーはモノコックで一体となり、前方に突きだした四本の太いボルトで、フロントサスペンションとエンジン部を結合する

インパネ中央からニューッと突きだした、三速MTのシフトレバーが異様だ。が、シフトフィールは滅法クイックで,スポーティードライブで威力を発揮する。トルクステアが強烈で、パワーオンではカーブで重く、オフでは強いタックインに見舞われる。過速で飛び込めば、簡単にテイルを振り出す、というじゃじゃ馬ぶりは相当なものだが、慣れると面白いので、良く借りては乗ったものだった。近頃のこなれたFWDに慣れたドライバーには、多分乗りこなすに手こずるだろう。

「駆動力が変わる時にクラッチを踏むんだ」初めて借りた時の注意だった。アクセルオフでエンジンブレーキが掛かることは誰でも知っているが、この時エンジンからの駆動力が、後輪からに切り替わる、当然駆動系に掛かる力は+から-に。その瞬間にクラッチを踏めということだった。シフトアップ、シフトダウン、巡航中、全て駆動力の伝達方向がかわる時に踏むということになる。

面倒そうだが、慣れてしまえば無意識のうちにやっている。こいつは、今のように優れたFWD用ジョイントがない時代に、シトロエンのクロスジョイントの寿命を延ばすコツだった。要するに、力が逆転する瞬間に、ジョイントの遊びで生まれる衝撃を、避けるためのドライブテクニックだったのである。

戦後から長いこと、東京では本所堅川町(たてかわちょう)は解体業者の密集地だった。私も修理工場をやっていた頃は、良く通ったものである。国産車が得意、外車が得意、エンジンなら何でも、サスペンション専門、等々、いろんな店があって、便利なところだった。当時は、外車ばっかりでなく、日本車でも、欲しい部品が何時でも手に入るとは、修理業者でも思っていなかった。

鍋島さんは、閑ができると、堅川町で中古のクロスジョイントを買い集めていた。常にストックしておいて、いかれたら直ぐに修理するためにだ。確か一個500円くらいだったと思う。が、ラーメン一杯が40円だった頃としては、中古で500円はかなり高く感じたものである。

もう一つ、11CVには感心する事があった。どの自動車にも燃料計が付いているが「あんないい加減なものはない」と云って「とんでもない」と云って腹を立てる人は居ない。が、11CVの燃料計は、エンドからフルまで、リットル数表示で、給油の時「28リットル」とか「32リットル」とか、端数まで注文して、給油所の人が、そこで満タンになるので驚いていたが、それほど正確な燃料計だった。

商売柄、新車中古車を含めて、年間に乗る自動車の数は多い。年間200台としても、10年間で2000台。自動車を仕事にしてから、60年ほどが経っているから、少なくと1万2000台は越えていると思う。が、量産車の燃料計で、これほど正確なのは、これまでにシトロエン11CVだけだった。

ユニークなことでは抜群の11CVは実に20年間同じ姿で作り続けられて、55年のパリサロンでお披露目のDS19にバトンタッチをする。が、このDS19も変な車で万人のド肝を抜いた。どう抜いたかは、またの機会に。