大昔、自動車は全て手作りで高級品だった。が、ヘンリー・フォードの革命的流れ作業の発明で大量生産開始。が、安いのは有難いが、金太郎飴のような同じ姿の車に乗らなくてはならなくなった。
人間とは我が儘な生物で、金太郎飴的量産乗用車が普及すると、一部の裕福人種は高くとも良い、他の車と違う車に乗りたいという願望が沸くのは御承知の通り。
「少々お高くなりますがこんな車は如何でしょうか」とばかりに、大量生産では出来ない車を造る人達が出てくる。もっともイギリスのコーチワーク、イタリアのカロッツェリアなんかは昔から有名だが、こいつは超お金持ち対象である。
アメリカにコーチワークとは別に、極く少量生産の車を造るメーカーも生まれた。が、車好きの主人が亡くなると、小さな工場の跡継ぎが居なかったりで、生まれては消えを繰り返す。
そんな中で比較的長寿命はエクスキャリバー、人によってはエクスカリバーだが、我々日本人にとり、どちらでも気にすることではないだろう。
エクスキャリバーのデザインは、工業デザイナーのブルックス・スチーブンという男。1930年代の名車のシルエットに似たスタイルを、ネオクラシックと呼ぶそうだ。
最初のエクスキャリバーは64年だが、それ以前の52年にヘンリーJのシャシーで二座席ロードスターを造ったが、こいつはクラシックではなく、インディ500でポピュラーな葉巻型だった。
ネオクラシック最初の作は65年発売のSSKロードスター。こいつはスチュードベイカーのラーク・デイトナコンバーチブルをベースに、30年代の名車、メルセデスSSKのそっくりさん。
高額な7250ドルという値段にもかかわらず、いきなり56台も売れて、この種の車としては大成功。シャシーは安物でも、FRP製ボディーが大柄で貫禄充分、高級感も充分だった。
加えて、エンジンをケチらず高性能だったのも成功の一因だったようだ。アメリカ車の象徴であるV型八気筒は、4624㏄290馬力で、充分な加速と高速性能を備えていたのである。
最初の作品成功に気をよくした会社は、66年モデルでは8000ドルのロードスター、7950ドルのフェートンもカタログに追加。エンジンも5232㏄300馬力にアップする。
またホイールベースも、2725㎜から2775㎜に伸ばし、5600㏄搭載のシリーズⅡを登場させたのが70年。この時点で値段も1万2000ドルを超るが人気は上々だった。
エクスカリバーは日本でも販売された。シリーズⅡのフェートンだが、日本での販売価格が2000万円を越えていたと記憶する。
同じ車かどうかは判らないが、ある日、東京タワー方面から青山方面へ、六本木交差点を走り抜けるエクスカリーバーに、千昌夫の姿を発見したことがある。
写真トップは、87年のロサンゼルス・オートショー。こいつはそっくりさんではなくオリジナルデザインのロードスターで、物価の上昇もあるだろうが、6万5000ドルの札が付いていた。それは当時の一流高級車と同じ値段だった。