【車屋四六】コニーのグッピーという軽自動車

コラム・特集 車屋四六

ホンダのマン島TTレース挑戦宣言には「馬鹿なことを」と誰もが笑ったが{瓢箪から駒}が出た…125ccと250cc優勝で、世界中が驚き、日本の二輪技術を認めたのが1961年だった。

そんな61年に、コニーグッピーと呼ぶ可愛い名の軽自動車が誕生した。生みの親の愛知機械工業の前身は、WWⅡ中の43年に創立の愛知航空機で、そこの艦上爆撃機/彗星は敵戦闘機より速いので偵察機が派生、その初陣がミドウエイ海戦だった。

また晴嵐は、当時世界最大のイ号400型潜水艦/全長122m3530頓に三機搭載、米国沿岸から発進、パナマ運河爆撃を目指す途中の太平洋で終戦、米軍に引き渡され、試験後ハワイ沖に沈められた。

更にさかのぼれば、明治31年/1898年創業の愛知時計である…一台で女工20人分の働きをするという、豊田式動力織機に特許が下り、後年のトヨタ自動車が産声を上げた年でもある。

98年ワシントンでレストア中の晴嵐と脇にスケッチ:ダイムラーDB601と同じアツタ液冷V12-1400馬力/474㎞→フロート離脱時567㎞

さて敗戦で飛行機が造れなくなった愛知は、47年に貨物輸送の花形、三輪貨物ジャイアント号を売り出すが、販売は尻すぼみ…次ぎに軽三輪貨物に目を付け59年ジャイアントコニーが登場するも、こいつも尻すぼみ…さらに、コニー360軽四輪貨物を売り出すが、こいつも尻すぼみ。

何をやっても尻すぼみの原因は、全国50店舗しかない販売網のせいだった…が、どの車も性能は一流だった。

 

でもへこたれない愛知の次の挑戦がコニーグッピー…開発コンセプトは{新市場の開拓}…3000万人と云われた二輪ユーザーを取り込もうという算段だったのである。

当時ベストセラーの本田スーパーカブが代表のモペットクラス約5万円、スクーター7万円前後、ラビットや二輪125ccクラスで13万円ほど。が、グッピーの22.5万円は高過ぎだった。

で、またもや尻すぼみのコニーグッピーは、全長2565㎜全幅1265㎜・二座席+積荷100kg・強制空冷2サイクル199ccは11馬力で最高速度80km/h・燃費30km/ℓと発表されていた。

ユニークだったのは、スクーターからの転向を考慮したツーペダル方式…ミカサツーリング同様、家具メーカーオカムラ開発のトルクコンバーターを採用していたのである。

今でも可愛いと感じるスタイリングだが、乗降のしやすさを考慮した前開きドアは、若い女達からは嫌われた…「下着が見えそう」というのである。

グッピーの運転席/2ペダルに注目

いずれにしても、愛知の少ない販売店では、またもや尻すぼみ…で、当時はトヨタより上位の日産自動車と提携して経営指導を受けるが、改善することはなかった。

64年日産はテコ入れを強化、大株主として経営に参加するも改善せず…66年、ついに自主生産から手を引き、チェリーバンなどの生産をまかされ、日産の下請けとして生き延びることになるのである。