【車屋四六】RE専用車サバンナにピストンエンジン?

コラム・特集 車屋四六

RE搭載専用を善手に開発されたサバンナRE長年絵に書いた餅だったロータリーエンジン(RE)がドイツで実用化して、世界中が注目したことは誰もが知っている。もっともREは日本語?で、世界では開発者の名でバンケルエンジンと呼ぶ。ロータリーピストン・エンジンでも通じるが。

が、実用化は出来たが、自動車用量産化には世界中が失敗した。が、成功市販に漕ぎ着けたのが日本とソ連。日本勢で市販したのはマツダとスズキ。トヨタも日産も発売の目処は付けたが、ワケありで発売を中止した。

スズキは二輪REを輸出。マツダのツーローター110馬力搭載のコスモスポーツの登場が昭和42年=67年。それからのマツダは”ロータリゼーション”を合い言葉に、日本ばかりか世界の市場制覇に進撃開始をするのである。

いずれは全車RE化の夢を見ていたようだが、慎重を期して暫くの間はレシプロとの二本立て戦略。こいつが後に会社を救うようになろうとは夢にも思わなかっただろう。

この二本立て戦略は、ファミリア、ルーチェ、カペラと進行した。そして時いたれりとばかりに71年に登場したのが、RE専用のサバンナで、ファミリアとカペラの中間が守備位置。翌年に491㏄x2に加え、12A型120馬力573㏄x2のサバンナGTも陣営に加える。

RE搭載専用を善手に開発されたサバンナRE

このGTを一躍スターにしたのが”富士ツーリストトロフィーレース”。連戦連勝のスカイラインGTRを破り、翌72年日本GPでは、GTRと死闘の結果優勝。無敵の王者GTRを駆る高橋国光は、ついに四位で泥が付くのである。

さて、どうしたことかRE専用だったはずのサバンナに、レシプロ版登場。グランドファミリアだ。サバンナとボディーとシャシー共有だったが、フロントとリアのデザインが変えてあった。

心臓はファミリア用1272㏄の高圧縮化で12馬力アップの87馬力だったが、如何にもパワー不足感が強く、翌年にはカペラ用1490㏄92馬力を追加する。それでも不足気味で、更に1568㏄に排気量アップ、100馬力と補強され。

写真トップは、FISCOを走る筆者だが、革のボマージャケット姿だから、たぶん74年の冬だったろう。こいつは、排気ガス対策グランドファミリアAPの試乗記を書くためのものだった。

さて、マツダのロータリゼーションは順調に進行していったが、思わぬ横槍が入った。73年のオイルショックだ。さらに難問が降りかかる。排気ガス規制の実施である。

が、排ガス対策では、なんとマツダは一番乗り。登場したのがマツダ・アンチ・ポリューションシステム。略してマツダAP。その一番乗り対策車がルーチェAPだった。

が、このAP、思わぬ話題を提供してくれた。排気管直後に立った女のストッキングを溶かし火傷をさせたというのである。また、枯れ草に火が点いた、という話しも伝わってきた。

燃焼ガスを再燃焼させて排ガスは綺麗になっても、高温のまま排出されていた。で、私も噂の実験をした。煙草をくわえて、排気管に顔を近づけて数秒後、煙が上がり、吸えるようになったのである。

排気ガス対策エンジン搭載のルーチェAP

そんなことをして驚いたり感心したりしていたのは昭和49年。石油ショックのせいで、東京モーターショー中止、国電暖房停止、狂乱物価と便乗値上げで結果日本GDP初のマイナス成長になる。

企業連続爆破事件、企業倒産史上最高。一方で、佐藤栄作首相ノーベル平和賞受賞の歓びとは裏腹に、巨人長嶋茂雄引退で野球ファンでなくとも落胆したものだった。前席三点、後席二点のシートベルト装備が義務化されたのもこの年だった。