【車屋四六】東京駅八重洲口をフォードA型が走っていた

コラム・特集 車屋四六

GMが世界一になる前、一番はフォードだった。そして創業者のヘンリー・フォードは、自動車史上もっとも有名な人物の一人と云って過言ではない。

フォードが自動車作りに成功したのは1896年だから、ダイムラーやベンツより10年ほど遅く、自動車の発明者ではない。フォードが歴史に名を残すのは、それまでの手作りから流れ作業の大量生産方式の発明で、金満家御用達高級車を大衆の手元に届けられるにしたからである。

世界初の量産システムで生まれた大衆車、モデルTの誕生は08年。有名なコンベアーシステムから生まれたT型は、米国全土に浸透し、世界制覇も果たすのである。

大ヒット作T型の全生産量は、実に1500万7035台。09年年産1万台の時の850ドルは、年を追うごとの生産量上昇で、ピーク時の23年には年200万台で値段が393ドルに下がっていた。

T型の生産終了は27年5月。GMのシボレーに追い上げられ、追い越されてジリ貧になり、やむをえず工場一時閉鎖したのだが、次のA型の工場出荷がその年の暮れというのだから凄い。

実は、工場閉鎖をした時点で、フォードには次のモデルの設計どころか、アイディアもなかった。が、僅か数ヶ月で次作品の開発し生産する、やはりフォードは天才である。

兵庫県ナンバーを付けたフォードA型フェートン

我々の常識では短期でっち上げとも云うべきA型だが、蓋を開けてみれば好評で、これまた傑作、4年間で500万台を売り上げた。

フォードは、29年に工場を丸ごとソ連に輸出して、モロトフ自動車工場が誕生する。其処で生産されたA型はGAZの名で販売された。

フォードA型は30年からの新工場でビッグマイナーチェンジした結果、姿はA型でも、内容は実質ニューモデルほどに変化していた。写真は30年頃のA型フェ-トンである。

もっとも写真を見ると右ハンドルだから、日本フォードの横浜工場製かもしれない。ちなみにフォード横浜工場のT型出荷開始は26年から。

写真を30年型とすれば、アメリカでの販売価格は645ドル。当時の為替レートは1$=2円ほどと聞いている。

A型は、ホイールベース2028㎜、車重約1028㎏。エンジン:Lヘッド直四3280㏄、40馬力/2200回転。キャブレターはゼニス製かホーリー製。前輪横置きリーフスプリング、後輪リーフスプリング+リジッドアクスル。四輪メカニカルドラムブレーキ。

Hフォードのモットーは「自動車なんてものは買い換えるものではない」。で、車は頑丈そのもの。だから昭和30年代になっても、現役で走っている車を見かけたものである。

写真トップは、東京駅八重洲口から昭和通りに向かう辺りだったと思う。ドアに付けられたバックミラーや、懐かしいアポロ方向指示器などは後付だろう。

写真のA型が生まれた30年=昭和5年。日本は不景気で、淺草六区などでは際どいレビューが大人気。で、頭に来た警察が禁止通達を。1,踊りは腰部を前後左右に運動するべからず。2,股を観客に向けて露出するべからず。3,ズロースは股下二寸(約6センチ)以上のこと。4,肉色ズロース禁止。5,前身乳房以下露出禁止。日本服(和服)でもズロースを履くこと。…そんな時代に大人でなくて良かったと、つくづく思う。