この文章は平成3年2月16日(土)掲載のリメイクと云うことを念頭に置いていただきたい。
場所が何処か思い出せない古い写真が出てきた。何処かの田舎の駅だろうと裏返したら熱海駅前と書いてある。が、WWII以前から汽車で、また大学生になった頃からは何度も自動車で行った場所なのに、何処かがおかしいが、裏書きがあるのだから熱海なのだろう。
でも、おかしい。と思い眺めているうちに、側に置いてある虫眼鏡で見たら、おかしい謎が解けた。車のナンバーが逆、ということは焼き付けが裏返しだったのだ。
当時は家庭でカラープリントなど無理だから、このプリントは東洋現像所(現イマジカ)。映画会社やプロ写真家御用達の会社にしては珍しいミス、ということはこの写真は貴重品。今なら、これが紙幣札だったら”お宝鑑定団”行きなのにと思ったり。(写真トップ:熱海駅前の写真。鏡に映せば正像になる、昼頃だというのに人影がまばら、とても熱海駅前とは思えない)
写真は昭和31年頃に写したものだから、35年も経って気が付いたことになる。我ながら実に間抜けな話だ。だから正確には後ろ向きの外車を中心に左右逆転すれば、駅舎は右側に移動して正常な姿になる。気になる人は鏡に映せば正常な姿が見られる。
昭和31年は私が大学を卒業した年で、卒業式前に友人が家から持ち出した車で学生時代最後の旅と、仲良し四人組で伊豆半島一周に出かける途中の熱海だったのだ。
まだ東名高速道路など有るはずもなく、第三京浜国道もない時代、戦争前の舗装がほころび凸凹の第一京浜国道を避けて、五反田駅のガード下から始まる第二京浜国道から旅が始まった。
その頃の第二京浜国道には、交差点に信号がなかった。交差点は今でもヨーロッパで見られるロータリー方式で、当時は車が少ないので、スムーズに走れるので気に入った道だった。もう時効成立だからかまわないだろうが、若気の至りというか、ストップウオッチを持って五反田のガード下を発進、横浜駅まで30分、という賭に勝ったこともあった。
横浜の手前で、国鉄東海道線を橋で左に跨ぐと、国道一号線に合流して横浜駅前に。それからは、保土ヶ谷、戸塚、平塚、茅ヶ崎、大磯と、江戸時代からの並木が所々に残る東海道で小田原へ。小田原から熱海への海沿いを走る景色の良いバイパスなど未だ無い時代だから、山の中腹をウネウネと曲がりくねって熱海までということになる。その先の伊東までは更にひどくなる。
さて木造の熱海駅前に駐っている車だが、正面を向いた右の車は50年頃のフォード。WWIIが終わり新規開発されたものだが、泥除けがない非常識なフラッシュサイドボディーに世界がカルチャーショックを受けた車である。(今では世界中で当たり前だが)
写真の真ん中の後ろ姿は52年頃のポンティアックで、トランクを縦に流れるラインが特徴だ。次は48年頃のナッシュ。その後ろに隠れるようにダイハツのビー三輪乗用車。更に後方の数台を虫眼鏡で見ると、ヒルマンミンクスやオオタらしき姿が見える。
ダイハツのビーについては次回で紹介することにしよう。ちなみに正面に見える、白い二階建は熱海警察駅前派出所だ。
この写真、当時としては珍しいカラー写真である。おかげで判る駅前に駐車のナンバープレートが全部黄色だから、この一群は全てハイヤーかタクシーだということになる。駅の時計からすれば午の12時頃だろうが、まるで人影がない。汽車の発車、到着の合間だろうが、今の熱海からは想像も出来ない光景だと思う。
さて、写真に写るナッシュは、開戦直前に登場したが軍需品生産のためお蔵入りして、戦後にフロントグリルを新装して登場した、いちおう戦後型である。フォードもいち早く戦後型を生産、その一号車はトルーマン大統領に送られた。写真の戦後開発の登場が49年だから、アメリカ自動車市場では、もっとも早い時期の戦後である。
が、衣装は新しくなったが、エンジンなどは戦前型のままで、電気始動一本槍にはなったが、覗いてみればクランク棒を受ける切り欠きが残っているのが見えたものである。
どの戦争でも科学が一気に進むものだが、自動車業界でも技術進歩の恩恵は大きく、性能が向上したスタータモーターと、蓄電池の信頼性の向上で、始動にクランク棒の助けを無視できるようになったのである。
そんなフォードのエンジンは、廉価版は3500㏄の直六だったが、やはりフォードならV8で、年々進歩したとはいえ、まだ32年に開発したサイドバルブの90度V型8気筒4000㏄が健在で、55年頃まで搭載されていた。フォードのサイドバルブV8は頑丈なことでも評判が高く、ドラグレース用にチューニング、またモーターボート愛好家にも評判が良かった。もちろん動力用その他、多方面で流用したものである。
さて、熱海を出発して、当時まだ自動車が走れない道も点在する伊豆半島周遊の旅については、いずれまたの機会に。また、珍しいダイハツ三輪乗用車ビーについては、次回で紹介しようと思う。