恐る恐るパトカーを追い越して、見えなくなって、アクセル全開は前回の話。その後も、私達のフィアット1500は時速150㎞でローマから走り続けていた。
ふと燃料計に目をやると針がエンドに近い。まだローマを出てから2時間も走っていないのに。とっさに燃料計の故障だろうと思ったが、念のため最初のサービスエリアに飛び込んだ。イタリー語が判らない日本人旅行者が、高速道路でガス欠エンコなど、ゾッとする話である。で、一目散にAGIPという看板のガソリンスタンドに車を停めた。
給油の最中もイグニションONで燃料計を見つめていたら、燃料計は正常だった。レンタカー屋のアンチャンは「燃費は1リットルで10km/l」云っていたのに何故?
その何故?は、ローマからの走行距離を逆算してすぐに理解できた。普通の走りなら平均燃費は10km/lなのだろうが、アクセルを床まで踏んだ全開走行では5km/lしか走らないのである。時速150㎞で走れば、1時間に30リットルのガソリンを食ってしまうのだから、2時間経たないうちに、燃料計の針がエンド近くになるのは当たり前なのである。
ついでに片言の英語がわかるAGIPのオジサンに聞いてみたら「アウトストラーダに速度制限など無い」ということで、それからのミラノまでは安心しての全開走行だった。
日本では経験のない、床までアクセルを踏みつけたまま長時間、という運転がえらく疲れることを知った。普段アクセルは常につま先をこまめに動かしているということにも気が付いた。いずれにしても足がつかれる、それも右足全体が疲れる。そこで名案。右膝上を右手のひらで押しつけていれば足は楽、ということでしばらく走り続けると、今度は右手が疲れてくる。
またぞろ嫌気がさしはじめたころ、フトひらめいた。日本ダットサンクラブの鈴木晋先輩のフィアット1500を何度も運転したことがある。そうだスロットルボタンがあるはずだと。
ボタンはインパネ右下にあった。思い切り引っ張ると、両足を床に置いたままで全開状態の時速150㎞。それからのミラノまでは鼻歌まじりの道中だった。
近頃の車には無いが、キャブレターに自動チョークが付く前には、チョークとスロットルボタンという仕掛があった。冷えたエンジン始動に濃いガスを送るためのチョークボタン、暖機運転が終わるまでの回転を安定させるスロットルボタンである。そんなスロットルボタンは、ウインチなど自動車を動力源に使う時、また現在のオートドライブのように、一定速度に固定することもできる便利な仕掛けだった。
昔風オートドライブで走り続けるフィアットは、もう一度AGIPに寄り、ローからミラノまで600㎞をちょうど4時間で走りきったから平均時速150㎞。日本にはない速度無制限の高速道路、何と便利なものだろうと感心ひとしきりだった。
暗くなったミラノで今宵の宿と何軒か回って、ようやくチェックインしたホテルの名もAGIPだった。それから数日で、イタリー中がAGIPだと判り、それが巨大な企業名であることも知った。
明くる日のトリノ自動車ショーは、日本のショーとは雲泥の差。TVがない時代に、田舎の若者が銀座に放りだされたように、刺激が一杯だった。
帰りのミラノまでの高速道路は濃い霧。が、イタリー人ドライバーは、霧などではへこたれない。三車線いっぱいに並び、前の車の尾灯が見えるまで車間距離を縮めて、そのまま時速100㎞で走り続ける。1台躓いたら?こいつは恐怖の体験だった。
ミラノの取材が無事終わり、フィアットをレンタカー屋で精算、ローマへは汽車の旅。キャサリンヘップバーンとガラス職人ロッサノブラツィの”旅情”で有名なテルミニ=ローマ駅に出迎えてくれたのはグッドイヤー社PRエージェントのビアンキーニ重役。このビアンキーニとクラインツ社長には、随分と世話になるが、後日ひどい目にもあわされる。と云っても悪意はないのだが。
二度目のローマ訪問で、ビアンキーニに電話をすると「今晩ホテルに行くから待っていてくれ」と云う。しめた、と思った。
前回、PR会社に寄った時にクラインツ社長が「大阪万博にコネを付けたいがラチがあかないで困っている」というので与謝野秀ローマ駐在大使を紹介したので、たぶん美味い晩ご飯でも御馳走してくれるのだろうと、喜んだのが浅はかだった。
ホテルの部屋にきたビアンキーニは「面白い車があるから」と云われて下に降りると、何の変哲もない英フォード・コルセアが駐まっている。なんだつまらないと見ていると「とにかく乗って見ろ」というので運転席に座り、エンジン始動、ライトのスイッチを入れると、とんでもない仕掛けがしてあった。
ライトONの途端に、辺り一面が赤くなり、周りの人達が「オヤッ」という感じで全員の視線がコルセアに集まった。ビックリして降りてみると、タイヤ四本が真っ赤に光っているのである。グッドイヤー社が開発したばかりの、透明素材のタイヤの中に電球が仕込んである。それで人々の視線を浴びながらローマ中を走らされる羽目になった。(写真トップ:英国フォードのコンサル・コルセア:ライトスイッチを入れた途端にこの有様だから目立つこと恥ずかしいこと。これでローマの街の名所で停まっては美女とツーショット写真を撮られた)
取材に行ったローマで、逆に取材される羽目になった。恥ずかしいやら悔しいやら、言うなればローマでチンドン屋だった。結果として自動車雑誌の取材に付き合わされたのである。
期待の晩飯は、ローマ場末の小さなレストラン。美味くも面白くもなかったが、雑誌が連れてきた、すこぶる美人のモデルが隣に座ってくれたのが、せめてもの救いだった。