【車屋四六】梁山泊に群雄割拠

コラム・特集 車屋四六

梁山泊については「赤坂村の梁山泊」の話で説明したのでくどくどとコメントは省かせていただく。群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)とは、各地の英雄が対立することと辞書にある。どちらも外車ブローカーが活躍する当時の芝赤坂界隈に当てはまる。

ちなみに群雄の中でも有利なのは正規ディーラー。参考までに会社名と所在地を調べてみた。

キャデラック/ビュイック/ボクスホール=ヤナセ→芝浦、シボレー=大洋自動車→大手町、クライスラー全車/ロイト=八洲自動車と安全自動車→溜池、米&英フォード全車=ニューエンパイア→霞ヶ関(後に虎ノ門)、オールズモビル/オペル=東邦モータース→溜池、ナッシュ/DKW=東急自動車→麻布箪笥町、パッカード/ポルシェ=三和→溜池、ハドソン/フィアット=日本自動車→溜池、ヒルマン/ハンバー/サンビーム=伊藤忠自動車→赤坂田町、ベンツ=黒崎内燃機→麻布今井町、ランチャ/アルファロメオ/タルボ=国際自動車→溜池、BMW=バルコム=芝公園、リンカーン/マーキュリー/ベデット=国際興行→中央区、MG/モーリス/ライレイ=日英自動車→溜池、ジャガー/プジョー/アルビス=新東洋企業→高輪(後に赤坂見附)、ロールスロイス/ベントレイ・ローバー=朝日自動車→永田町(後に麻布箪笥町)等々。

1954年頃の正規ディーラーだが、東京地区全部を挙げればゆうにこの三倍にもなろうから、この辺で筆を置く。いずれにしても、芝赤坂界隈に集中していることが判るはず。

が、55年に日本人向け外車輸入販売が禁止になると、正規ディーラーの中に急激に割り込んできたのが、街のブローカー達。この連中も、やはり芝赤坂界隈に店を張ったから、何度も云うように群雄割拠の日本版梁山泊が出現したのである。

日本人向け販売禁止以前、また禁止後も、ディーラー販売のやりかたは、今のような訪問販売はなく、基本的に店頭販売で、客が店を訪れて商談開始というスタイルだった。

また、サンマンダイ時代に名義の斡旋で大企業の顧客を掴んでいる実力派ブローカー達は、正規ディーラーに客を紹介して、紹介料を戴くという方式も成り立っていた。

が、日本人向け外車の仕入れ先が駐留軍や外交官になると、英語が達者なブローカー達が稼ぎ始めて、正規ディーラーの中に割って入り、裏街道の仕入れ販売網が出来上がっていった。

そんな梁山泊には、二年目終了の車を現金で買い付け、関税を払って通関在庫する、英語達者でしかも資金力がある業者と、英語下手の業者という図式が出来上がる。

いずれも単独でセールスもするが、在庫の多くは上客を持つブローカーが売ってくるのだが、客を見つけて歩合で稼ぐ奴、また油断をすると危ない一匹狼などは取引の最終段階では業者の付け馬が目を光らせて、代金は外へ出たとたんに取り上げて口銭を払うという光景もしばしばだった。

情報を提供するだけで謝礼を稼ぐ奴も居たし、中には、領収証や契約書に一つ幾らで実印を押す奴も居た。脱税とか、仕入れ先や売り先を隠す必要がある時などで、私の店に出入のブローカーは、一押し千円で幾らでも押してくれた。

「税務署なんか怖くない・何でも取れるものなら取ってみろ」とうそぶき、時には特殊技術も披露した。印鑑証明や書類に押した印影を、別の書類にコピーするという隠し芸である。儲けのネタだから手口は見せないが、朱肉は一見乾いていても押してから数日くらいだと朱肉を表面に浮かせて、ロー紙に転写、必要書類に押しつけると、色は薄いが正規の捺印の完成だった。もちろん千円ではやってくれないが。

さて、日本人には売れなくなったが、駐留軍や外交官に免税で売れる正規ディーラーは、二年先に日本人向けに通関できる正確なリストを持ち、資金豊富、アフターサービス万全だから、裏街道では強豪だった。

一方、我々のような修理業者も結果として梁山泊のお先棒を担いだ。というのも、中古車だから目が利かないと駄物を掴まされる。で、付き合いのある修理業者に鑑定させる、面倒くさがり屋は「良い車探してくれ」ということになるからだ。

ということで梁山泊からは在庫情報が流れてくるようになったが、ある日、とんでもない車のストックが知らされた。それは三年目でなければならないはずが、丸一年しか経っていない58年型キャデラックが、某国大使館から出て、どう間違ったのか通関が済んでしまったというものだった。

ちなみに、その年の日本的新車は57年型で、キャデラックは700万円前後だった。それからは、58年型を誰が?何処に?幾らで?が梁山泊の話題になり、日常の挨拶がわりにもなった。私も親しい木下産商、味の素、三菱商事、電通などに紹介したが、残念ながら物には出来なかった。

その騒ぎも二ヶ月ほどで収まった。日本にたった一台の貴重なキャデラックの後席に坐った主は、東映の大川博社長だった。当時の東映は、市川右太衛門、片岡千恵蔵、大友柳太朗、月形龍之介、中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、里見浩太朗、千葉真一、美空ひばり、佐久間良子、三田佳子など、チャンバラ任侠で独走、日の出の勢いだった。

最後に気になる値段だが、金1900万円也と伝え聞いた。その年のキャデラック(57年型)の値段は700万円前後、東映封切映画館の入場料が500円の頃である。

東映・旗本退屈男:共演佐久間良子。主演市川右太衛門は明治40年生、無声映画時代からの時代劇スター。東映取締役兼俳優で旗本退屈男シリーズは、12年間に19作品という彼の当たり役。息子は北大路欣也