日本が敗戦で国中が貧乏のどん底に突き落とされてからの数年間の食糧事情は酷いもので、配給の食料だけでは足りなかった。正義感で頑張った正直判事の餓死がニュースになったほど。
だからアメリカの食料援助などで食いつないでいる日本に、乗用車など作るゆとりなどなかった。もっとも、GHQ(連合軍最高司令部)の生産禁止命令も出ていたが。爆撃による焼け野原の街を走る乗用車は、消耗激しい戦争を生き抜いた戦前の輸入車、日本で生産されたシボレーやフォード、そしてダットサンなどだった。
中学同級生の父、逓信省次官は某宮家の1936年型キャデラック。進駐軍に屋敷を接収されて当家の前に越してきた川崎さん、さすが財閥らしくピカピカの38年型ビュイックに戦前型BMWのオートバイ。運転手が、軽井沢の別荘に隠してあったと云っていた。
が、そんなピカピカ車は極少なく、大半は戦争を生き抜いたボロばかり。で、タクシー、ハイヤーは背中に釜を背負った木炭車のままで活躍していた。もっともガソリンは統制のままで自由には買えかった。
GHQによる日本占領が一段落すると、将校や軍属が私用の乗用車を本国から持ち込み始めた。彼らの荷物が海を渡る運賃は軍の費用で、本人負担ゼロだった。
不思議だったのは、戦前の中古と戦後の新車、彼らの車に生産をしなかった戦中5年間の空白が見られなかったこと。それは兵器生産突入時に倉庫に保管した金型で、戦後の生産再開をしたので、戦前最後の車と戦後の車の姿が同じだったからなのだ。
要するに戦後出荷された新車のほとんどが、戦前型ということ。こいつは敗戦国ドイツも日本も規模こそ違え同じである。
暫くすると、彼らは日本で新車を入手できるようになる。戦前からの輸入代理店、例えばヤナセや日本自動車などに新規契約の代理店も加わって、輸入販売業務を再開したからだ。
が、新車は日本人の購入禁止だから乗れるはずもないはずなのに、ちらほらと、いかにも所有者が日本人という輸入新車が走るのを見かけるようになる。
賢い人が、サンマンダイという抜け道を見つけたのだ。日本人が買えない新車も、日本在住許可の第三国人=外国人なら買える。其処に目を付け、大企業社長や中小企業、商店のオーナー、ヤミ成金、いうなれば金持ちなら第三国人の名で車を買い、登録して、そのまま乗るという手段なのである。
陸運局では、そんな車を区分するために、3万から始まるナンバープレートを割り当てた。で、3万台=サンマンダイという言葉が生まれるのである。
ちなみに名義を貸す外国人は、車不要の外国人、大体は戦前から日本に住んでいる貧しい人達で、ほとんどが在日中国人と朝鮮人、南北分離してからは在日韓国人も。
もちろん在日の外交官、企業の駐在員なども買えるが、自身が必要で買うのだから名義貸しなどするはずもない。当家の前の小島家にハワイから二世の甥が来て商品輸入を始めたが、新車のシボレーに乗り、米軍のPXにも出入りできるのが羨ましかった。
本稿に何度か出てきた、親友西村家の52年型ポンティアックは正規輸入だったが、その前の48年型ポンティアックはサンマンダイ。西村家縁者の娘が、香港が本拠の商社ジャーデンマジソンの英国人と結婚して、その名義だったようだ。
日本人が正規輸入車を買えるようになるのは昭和27年=1952年からだが、サンマンダイは昭和20年代末まで走り回っていた。
52年から始まった日本人向け正規輸入も、外貨備蓄が低下したのか、54年を最後に55年から再び禁止に。西村の家では、虎ノ門の新朝日自動車に52年型下取りで、54年型ポンティアック・スターチーフに入れ替えた。
値段は240万円。一口に240万円といっても、大卒初任給8000円前後、ガソリン1Lが39円、ラジオ放送受信料67円・TV受信料300円/月、郵便料金:手紙10円・葉書5円の頃だから、普通の家で買える値段ではない。
フルモデルチェンジしたポンティアック54年は、これまで共通だったシボレーと袂を分かち、シャシーもボディープレスも専用となり名実ともにGMの中級車となった。その中でスターチーフは更にホイールベースが長い高級モデルで、全長5428㎜、直列八気筒エンジンはサイドバルブで127馬力。ハイドラマティック型ATは見かけ三速だが、トップにハイウェイモードとタウンモードがあり、実質四速という優れものだった。
55年から再度輸入禁止になると、西村家の一年ほど使ったポンティアックを嬉しいほどの高値で、新朝日自動車が引き取ったそうだ。半月ほど経ち虎ノ門を歩いていると、見慣れた車がショールームに展示されている。「54年型最後のポンティアック・350万円」がセールスの説明だが、積算計は巻き戻して3000kmほど。で、聞いてみると「デトロイトからサンフランシスコまで陸送したので」ということだった。本当なら、もっと上がっているはずなのに。
もちろん55年からは新車が買えなくなるが、駐留軍や外交官が二年使った車が実質日本人の新車になり、名義貸しのブローカーが、今度は外車ブローカーに変身、活躍する時代となる。で、副産物として、55年から外車の値段が鰻登り、異常な高騰を始めるのだが、その話は、いずれということにする。