【車屋四六】二代目カローラ

コラム・特集 車屋四六

昭和30年代前半に誕生したブルーバードやコロナは「大衆登場」と宣伝したが、一般大衆に車が買えるほどの所得はなかった。
昭和20年終戦、戦後の後遺症が徐々に消えて30年代に入ると経済成長期に入り、末期になれば庶民の願望“三種の神器”は3C{カー・クーラー・カラーTV}と少々贅沢になっていた。

いずれにしても自動車メーカーは{機は熟した}と判断したようで、昭和41年/66年に先ず日産サニーが登場、半年ほど遅れてカローラ登場…プラス100ccのCMを旗印に人気のサニーを追撃・追い越し・大衆車市場の王座に座るのである。

人気のカローラは勢いにのり、わずか3年6ヶ月で100万台、ミリオンセラー到達最短記録を樹立した。同時に日本市場は大衆車時代に突入して、差別化の希望がユーザーから出始めていた。
{のど元過ぎれば熱さを忘れる}ということわざのように、たった20年前の敗戦貧乏は忘却の彼方、贅沢の虫が目を覚ましていた。

サニークーペの人気に対抗と、カローラも68年にスプリンタークーペを開発する。そして70年にカローラは二代目に衣替えをする。鈴鹿の日本GPで火が点いたスポーティー嗜好で、二代目はロングノーズ・ショートデッキ姿、もちろんクーペも同時に登場。

カローラ二代目:ロングノーズ・ショートデッキの流行スタイリング/トヨタ博物館蔵

ちなみに上級グレードの1200SLは、全長3945㎜、全幅1505㎜。車重760kg。直四OHV・1166cc・77馬力。最高速度140㎞。56.4万円。(Std\43.8~クーペ\59.4万円)

一方カローラ追撃で、サニーが1200を開発すると、カローラは1400cc66馬力・160km/hを開発。さらに71年1400ツインキャブ85馬力・5MT・165km/hで追い打ちを掛けのである。

トヨタの追い打ちはそれで終わらず、セリカやコロナで評判の2T型105馬力を、73年にファストバッククーペに搭載、最高速度は175㎞へと跳ね上がる。

当時の日本市場では早さの追求は止まるところを知らず、追い打ちと掛けるように登場したのが1600レビン…セリカGTと同じ2T-Gは、DOHCで115馬力・最高速も一気に190㎞、ゼロ400の16.3秒はセリカ2000GT に迫る早さとなった。もっとも馬力荷重7.4はポルシェと同等でもあった。

時流に乗り人気街道を突っ走ったカローラ二代目は、70年18万台、73年28万台と人気上昇を続けながら、74年に三代目にバトンタッチした。

二代目が登場した70年頃の日本は、経済成長の加速で、一億円を超える高額所得者が前年の四倍にもなったが、ほとんどが土地成金と云われた。

土地の価格上昇は67年頃から始まったものだが、69年の全国平均では前年比で10%、70年9%だったが、東京や大阪という大都市圏で通勤1時間圏内の上昇率となれば、25~30%という急上昇ぶりだった。

一方、マイカーは四所帯に一台になり、日本万国博覧会開催、自動販売機が100万台突破で{自販機時代到来}と云われた。
そんな70年の流行語は…ジャンボ・モーレツからビューティフルへ・ウーマンリブ・しらける・鼻血ブー・わるのり・男は黙って・死んでもらいます・などいう言葉が流行っていた。

10年ほど前に訪れたバンコクで見掛けた二代目カローラ:状態は悪かったが健在な姿が懐かしく思わずシャターを