【車屋四六】スカGマカオを走る

コラム・特集 車屋四六

{OL}なる言葉が生まれたのは東京オリンピック開催の昭和39。働く女を指す言葉だが、それまでは{BG}と呼んでいた。
BGとは勿論ビジネスガールの頭文字だが、終戦以来日本人はアメリカ文化が憧れで、話せなくとも英語が格好良くて、わけも判らずカタカナ単語を会話に、また商品に付けたりしていた。

そんな風潮の中で生まれたBGは、言葉の響きも良くスマートだったが、実は和製英語で、アメリカ人が聞けば誤解を招くということが、長年使ったあとに判明したのである。

BGとは、バーガールとか、水商売女を指す俗語だと誰かが云いだして、女性週刊誌が新しい呼び方の募集をつのった。
結果、一位になったのが{オフィスレディー}…早速NHK放送用語委員会がBGを放送禁止用語に指定、オフィスレディーを短縮した{OL}が陽の目を見ることになったのである。

そんな出来事があった昭和39年は1964年だが、11月にマカオGPでスカイラインGT=スカGが走って注目を浴びた。
スカGは、半年前の鈴鹿の第二回日本GPに登場したばかりだから、話題を集めた新鋭スポーツカーだったからである。

日本GPに出場したスカイラインGT/日産所蔵

後にサーキットの華となるスカG誕生には有名なエピソードがある。第一回日本GPでトヨタに完敗したプリンス自動車が、必勝を期して開発したスカGにトヨタは勝ち目なしを悟ると、営業的見地でプリンスの優勝を阻止と、最新鋭ポルシェ904を空輸、式場荘吉にプライベートエントリーさせることになった。

だが思わぬところで{瓢箪から駒が出た}…式場とスカGの生沢徹は親しい間柄「もし追いついたらちょっとだけ先を走らせて」で、トヨタの大金を注ぎ込んだ作戦は裏目に出ることになる。

両車の性能差は明らかで、独走をはじめた904はやがて周回遅れに追いき、追い越しに戸惑う間に生沢が追いついた…式場はトップを譲り、生沢に前を走らせてから、再びトップに。
この状況を私は二人から直接聞いては居ないが、関係者の噂、またこのあたりの裏事情に詳しい佐藤健司からの情報である。

当日、私は大会の役職にはなかったから、グランスタンドで見ていたが、最終コーナーから904を従えて飛び出してきたスカGに目を疑ったものである。当然、観客も驚いたが、それをスカGの実力と誤解してしまったのが事の始まりだった。

レース後プリンスでは、出場資格取得で100台も造ったスカGを、どうするかで頭痛鉢巻きだった…が「あのスカGを買いたい」という客が殺到、アッという間に完売してしまった。

それで目出度しめでたしなら話しは終わるが「そんな人気なら」と欲を出し、量産計画を立てスカイライン2000GTが誕生…街乗り用GT-Aと競技用GT-Bの2モデルが発売されたのである。

市販開始は65年だが、その直前のマカオGP出場だったのだ。
香港同様、99年マカオはポルトガルから中国へ返還されたが、80年代私は毎年取材に出掛けていたが、写真は更に昔で、SCCJ創立メンバーでいすゞチームの重鎮・佐藤健司からのもの。当時は、ひなびた漁村だったそうだ。

(写真トップの)背景は、ジェット船なら1時間で香港から着く埠頭の建物で、80年代は健在だったが、95年の訪問時には無くなっていた。

グロリア用直六OHCをウエーバー・Wチョークキャブレター三連装でレース用に仕立て直したエンジン。スカG生みの親、桜井真一郎がイタリーで見つけて持ち帰ったもの