WWⅡが終わる六ヶ月ほど前のこと、日本の降伏を見越したルーズベルト大統領は、デトロイトの首脳陣に対して「自動車企業の巨大化は好まない・会社は競争すべきである」と説いた。
そこでタッカーは、新興企業が自動車市場に参入するチャンスと捉えた。で、長年の夢を盛り込んだ理想の車を開発しようと決心したのである。
そして終戦後再開の老舗の乗用車達が戦前型だったから、戦後開発の新しさも戦力になると考えたのである。こいつは、造船業から戦後転向したカイザーフレイザー社と同じ考えだった。
と、そこまでは良かったが、企業間競争を指示したルーズベルト大統領は45年のヤルタ会談の後、過労が重なったのか死去して、4月副大統領昇格でトルーマン大統領の誕生が、タッカーの不幸に繋がる一因になったのかもしれない。
が、未来の運命など知るよしもないタッカーは、戦争が終わると早速資金を集めて、理想の自動車開発を始めたのである。
並行して、46年タッカーは、シカゴ西北の元兵器工場の払い下げを申請して許可されたが、引き渡し直前に役所が引き渡し先をプレハブ会社に変更してしまった。
タッカーは、早速裁判所に提訴し、勝訴するが、その間に無駄な時間を浪費したばかりでなく、金と世間の信用も失ってしまい、これが最初のつまずきとなった。
更に、終戦で不要になった政府所有の溶鉱炉の入札に参加して、最高値で落札したのに、政府はカイザーフレイザー社を落札者と決定して、引き渡してしまった。
そんなことが重なった46年、とんでもない放送が電波にのった「タッカーの車は夢・絵に描いた餅だから司法省の調査が入る」
そんな噂が広まったのではたまったものじゃない、5ドルの株価が一気に2ドル近くまで急落してしまった。
対するタッカーは「我々の車は夢ではない・完成車3台を司法省に持込むから見てから判断を」と申請したが、それっきり、司法省からの返事はなかった…{梨のツブテ}というやつである。
悪気の報道は更に追い打ちをかけた「証券取引員会と連邦局も調査に入る」と。
後日わかったことは、証券取引委員長が、のちに国防長官・世界銀行総裁にまで出世するマクナマラ、そして彼の黒幕がファーガソン議員、どちらもデトロイトが地盤の大物政治家だった。
49年、タッカー社に、とどめの一撃が加えられた。大新聞デトロイトニュースに“大詐欺師タッカー告訴”と…それが口火となり、コリヤー、リーダースダイジェスト、コロネットなど、影響力のある有名誌に誹謗記事が連発することになる。
タッカーは、悪者に仕立て上げられた…彼は役所から情報が漏れていると抗議したが、答えはノー…が、その情報は、マクナマラ委員長が直接報道に手渡していたということが、後日判明する。
官民一体の陰謀にはまって、窮地に追い込まれたタッカーが、どうなるかは次回に。