【車屋四六】セリカXX2800GT

コラム・特集 車屋四六

クライスラー社長になったアイアコッカが、フォードを追われる前に企画したムスタングは、フォードに多大な利益をもたらせたが、日本でも憧れのスポーティークーペだった。

1970年、我々憧れのムスタングに似たクーペがトヨタに誕生する。日航よど号がハイジャックされて北朝鮮に、というショッキング報道の年だが、一方で6421万人もが押しかけた大阪万博、戦後四半世紀を経て日本経済は明るい消費時代を迎えていた。

車は単なるマイカー願望だけではなくなり、好みに合わせて遊び心を盛り込みはじめた。その先鋒を切ったのがトヨタで、登場したのがセリカだった。ムスタングに似たセリカは、1.4ℓと1.6ℓの2本立てで、リーダー格の1600GTが87.5万円。

人気者になったセリカは、1977年に個性の強さと贅沢さを更に上昇してフルモデルチェンジ。1.6ℓ、1.8ℓ、2ℓという構成に発展(2000GT157.7万円)。更に、5ナンバー枠を飛び出した2.6ℓ、セリカXX2600が登場した。

二代目セリカXX(ダブルX)2600G:アメリカ輸出を念頭に大きく流麗に変身した

この年、世界最速と噂に高いソ連のミグ25戦闘機がいきなり函館空港に着陸。…ベレンコ中尉の「アメリカに亡命したい」の希望で世界中が大騒ぎに。当時ミグ25は極秘兵器だから、棚からぼた餅とばかりに日米の専門家が、見ぬふりをしながら寄ってたかって調査する。

結果、話題になったのが、主翼の前縁が高価なチタンではなく鉄、無線機には真空管などとマスコミが騒ぐ中、ソ連に返還された。

まだバブルは先のことだったが、セリカは贅沢に発展しながら1981年にフルモデルチェンジ。で、XXシリーズでは、5G-GEU/170馬力(XX2800GT)と1G-GEU/160馬力(XX2000GT)に。

今度は丸味から直線的レイアウトで精悍に変身。直六24バルブDOHCに溜息をつき、ヘッドランプがピョコンと飛び出すのだからマニアの感心は尋常ではなかった。

三代目セリカXX2800GT:アメリカタイリングはカーブから直線へ。当時はヘッドランプがピョコンと飛び出すのも話の種だった

時の日本は経済急成長期。で官民一体の浪費癖がつき金銭感覚麻痺。そんな中で、ロッキード事件の田中首相逮捕。で、81年に始まった裁判がXX登場の年

榎本美恵子の“蜂の一刺し”で有名になった裁判である。その美恵子の旦那の榎本敏夫には仕事で世話になったことがある。「オヤジが総理になったら秘書官に昇格したんだ」官が付けば単なる秘書ではなく役人扱いになると得意顔だった。

議員会館には赤絨毯の議員専用エレベーターがあるが、彼は堂々と乗り込む。或日一緒に乗ったら、閣僚級代議士と気軽に談笑していた。角栄の裏の秘書と呼ばれた彼の結末は気の毒だったが、個人的には親切で明るい好人物だった。

いずれにしても当時の日本は景気が良かった。で、自動車だって景気よさが求められ、ひと頃の排ガス対策で元気を失ったエンジンは何処へやらという時代が到来していた。

日産はターボチャージャーで元気回復、一方のトヨタは高級なDOHCの燃焼効率向上で馬力回復に成功したが、トヨタは一般的呼称DOHCではなく、イギリス流にツインカムと呼び始めた。

とにかく、日本の二大巨頭の馬力回復につられて、各社にDOHCやターボ車が増えいった。

トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売、活躍した両輪が合併して一社に統合され、今日の姿になったのも、1981年だった。