1992年8月、単行本“進駐軍時代と車たち”の原稿をグリンアロー出版社に渡し、ちょっと暇が出来たので念願のラスベガスに。「なるほど」と早合点は困る。私、生来の博打嫌いである。
目的は、ラスベガス経由でグランドキャニオンへ。何度か行ったアメリカだが、両地共に車取材では無縁だった。昔の人の“縁は異なもの”とは良く云ったもの。博打天国ラスベガスに、はからずも自動車博物館を発見、思わぬ稼ぎが。
Imperial Palace Antiqu&Classic Auto Collectioという名の博物館は、有名なシーザースパレス対面の五重塔ようの玄関を入り、馬鹿っ広い博打場を取り抜け、奥のエレベーターで五階が博物館。
入場料6ドル。このホテル大半の客は一階の博打広間だから人はまばら、ゆっくりと写真が撮れた。所有車は200台ほど。
歓楽地らしく、いわく付き車もずらり。ヒトラー総統のベンツ、ケネディー大統領のリンカーン、ムッソリーニが愛人にプレゼントのアルファロメオ、昭和天皇マッカーサー訪問時のパッカード、プレスリーのキャデラック、サミーデイビスのハーレー三輪車、等々。
圧巻は、デューセンバーグがずらりの特別室。一台が20万ドル以上と云われるのが20台以上も揃えば、溜息をつくほかは無い。
圧巻は博打場にもあった。ただ今86万ドル、183万ドルなどの表示は、1ドルのスロットマシーンに外れが溜まった金額。もしジャックポッドなら「そっくり貴方の手に」という夢の当選金である。
このスロットマシーン、昔は1ドル銀貨だったそうだが、50年代から珍しいので客が持ち帰る、そこで目方サイズが同等の専用コイン=トークンが使われはじめた。
一包み20ドル(20枚)のトークンを数本買って、一度だけ博打嫌いが博打をやった。が、博才皆無らしく、どんどん減っていく、で諦めて、一包み一本を博打記念として持ち帰った。
ベトナム戦で泥沼にはまったアメリカは、危険場所が増えた。ロスでも他の都市でも「あそこの一角は危険だから」と警告されるが「ラスベガスは全米一安全・街を仕切っているのが警察より恐い連中だから」とホテルのマネージャが云った。
訪問客=マフィアの収入源だから、最強の自警団常駐ということ。
グランドキャニオンに行く方法はたくさんある。現地で見たSLも面白そう。安いのはバスだが時間が掛かる。早いのは飛行機で、頼んだツアーは20人乗りセスナ双発機。だが、私がパイロットと判ると「是非小型にしなさい」とガイドが進めた。で、七人乗りターボ型セスナT207単発機で出発した。
双発機は速いが低翼で写真に不向き。が、高翼機単発機は視界良好だが料金少々高目が玉にキズ。私自身、ひと頃商売の空撮のため、低翼のムーニーから高翼のセスナに買い換えたこともある。
往復後の空港でパイロットが搭乗証明をくれた「単発小型の恐い長旅ご苦労さん」という証明だ。そんなものは要らない「何故?恐かったろうに」「いや私もパイロットだから」で、彼は悲しそうに「証明証は捨てずに日本に持ち帰って」と云った。
「ところで日本では何に乗っている」たまたま持ち合わせた当時の愛機セスナT210の写真を見せると「私のT207よりずっと上等だね」と羨ましそうな顔をした。
ターボT210は当時セスナ単発機ではターボ付き引っ込み脚で最速。羽根の支柱がなく、写真撮影には最適だった。酸素を吸えば9000米前後の飛行も可能で、プレッシャキャビン型をお笑いタレント横山やすしが持っていたことでも知られる。
日本よりアメリカは物価が安い。ラスベガスは観光地なのに特に安い。「博打で儲かるから物では稼ごうと思わない」はガイドの話。
ホテルのディナーショーは素晴らしく楽しい。街全体もショーの舞台のようで、見るも聞くも楽しく安全でエキゾチックな街だった。
博打など忘れて、家族連れで楽しめる街、と認識を改めた。
そして楽しい自動車博物館、とくにデューセンバーグ勢揃いは圧巻。自動車マニアにも楽しいところ、お薦めである。