【車屋四六】今日は時計の話

コラム・特集 車屋四六

私は、車フリークは写真機も時計も好きと勝手に決めている。で、今回は時計の話しで脱線御容赦を。

近頃は携帯電話に表示されるので腕時計をはめる人が減っているようだが、昔は経営者、サラリーマン、OL、学生、外出時の女性達等々、誰もが腕時計は必需品だった。

腕時計の動力はゼンマイだが電池の登場で、ひと頃ゼンマイ式の存在が危ぶまれた。
電池式の登場は、巻かずにすむという長年の夢と希望の実現だった。が、ゼンマイ式からいきなりクオーツが生まれたのではない。

ゼンマイからの脱出で、たくさんの発明工夫が生まれ、いくつかは実用化された。
先ず50年(昭25)モーター駆動をハミルトン社が発売。

が、60年になると、ハミルトンより正確なアキュトロンがライバルのブローバ社から登場する。今回は、このブローバ・アキュトロン(写真上)についてご紹介しよう。

アキュトロンの原理は、向かい合う二個のコイルに電流を流すと、250ヘルツの音叉が振動して、時計を駆動する仕掛けで、もちろんゼンマイ式より、モーター式より正確に時を刻んだ。

写真で判るように、中身が見えるスケルトンで人目を引く戦法は見事に当たり人気を得る。そして商品名に“スペースビュー・アストロノート”という夢を誘う名前が付けられた。

さて、ブローバ社の起源に付いて触れておこう。
ジョセフ・ブローバがチェコスロバキヤからアメリカに渡ったが明治5年=1875年。まだガソリンエンジン誕生前で、ダイムラーもベンツも、都市ガスを使うガスエンジン開発の技術者だった。
アメリカでブローバは宝石店を開いた。やがて時計も扱うようになり、20年(大正9)には製造も始め時計メーカーとなる。
大正9年頃の日本は、快進社、実用自動車、太田、石川島、東京瓦斯電など、5社の自動車メーカーが存在する時代である。

ブローバは斬新な頭の持ち主だったようで、26年(昭1)にラジオから世界初の時計コマーシャルを流した。
時を経て、テレビでの世界初時計コマーシャルもブローバだった。

売り出されたアキュロトンを見て驚いた、腕時計の常識である竜頭がないのだ。もちろんゼンマイを巻く必要は無いのだが、時間合わせはどうするということである。

ブローバでは、正確な時計には時間合わせは不要ということで、たまに必要な調整は、裏蓋に埋め込まれたノブを引き起こして針を動かすという仕掛けになっていた。

音叉時計アキュトロンが誕生した60年、日本の自動車業界ではコロナが二代目になり、セドリック、三菱500、マツダR360、スバル360が登場した。

実を云うと、音叉時計の原理はブローバの開発ではない。時計の本場スイスはノイシャテル時計研究所のマックス・ヘーツェルという物理学者だが、頑固頭のスイス時計会社の経営者達には不評で相手にされなかったのである。それを見つけたのがブローバだった。

アキュトロンの成功でブローバ社は前途洋々だった。
世界の名だたる時計屋が音叉時計のパテントを買ったから。特にスイスでは名門老舗、例えばオメガ、インターナショナル、ロレックス等々。日本ではシチズンが生産した。

オメガ・エレクトロニク:赤枠で囲まれたΩで音叉型と判る:オメガは振動数300HZ(さすが老舗の一流、ブローバより細密ギア加工が可能だったのか)/アキュトロンと共に筆者のコレクション

が、ブローバの前途洋々は、10年間でしかなかった。
二代目スカイラインGTが誕生、スバルff-1、ルーチェREクーペ、ホンダ1300、フェアレディーZ が登場する69年(昭44)、思わぬ天敵が現れて音叉時計にとどめを刺した。

天敵、それはクオーツ。クオーツの発明もスイスだが、理論だけで実用化する者は居ず、それをコンパクトにまとめて実用化したのがセイコーだった。

セイコーは血のにじむ思いでクオーツの実用化に励んだという。理由は、ブローバの鼻を明かすためだったというのが通説。噂では音叉時計の特許をブローバが売らなかったというのだ。
かつて、ブローバが電気時計のハミルトンの鼻を明かすために全力投球したと同じようなことを、セイコーも繰り返した。

もっとも、ブローバは、蒼々たる天下の名門スイス時計の採用で信用と知名度を一挙に得ようとしたのかもしれない。
また、台頭してきた日本のトップメーカーに、何か嫌悪感を抱いていたのかもしれない。

いずれにしても、セイコーに特許を売っていれば、クオーツの登場はもっと遅れたかもしれないし、登場しなかったかもしれない。となればブローバはアキュトロンで稼ぎ放題だったことだろう。
世の中一寸先は闇、とは良く云ったのである。

ちなみに、ハミルトンの電気腕時計はリコーが造った。

参考までにゼンマイ型のブローバ

以上は96年の記事だが、最近、セイコー技術の長老から音叉時計の内輪話を聞いたら、世間の噂とは裏腹に、特許が買えなかったのではなく、音叉の振動を回転に変換する微少な歯車の歯が切れなかったというのである。
で、私は物書きとして、噂を鵜呑みにすることの恐ろしさを知り、ただいま反省中である。