{黒猫のタンゴ}なんて変な歌が流行っていた70年/昭45、大阪万博開催の日本は景気急上昇中、そんな時代に登場したのがセリカ。
カローラ・コロナ・クラウンの連合軍で市場をリードしていたトヨタが、若者をターゲットに新規開発、投入したのである。
新セリカはアメリカンムード一杯だった。
終戦以来日本人の世界最高は、アメ車だったから、憧れのムスタングそっくりなセリカのインパクトは強烈だった。
で、人気上々の滑り出し。その和製ムスタングは、77年に二代目に進化する。
そのころ日本は、景気上々とは裏腹に、自動車業界に不安発生…ガソリン無鉛化実施、51&53年排ガス規制が待ち受けていた。
世界中が口を揃えて難しいと難色を示した規制に、勇敢に立ち向かったのが日本。で、世界に先駆けて開発に成功するが、結果はパワーダウン、全盛期{羊の川を被った狼}と呼ばれたスカイラインが{借りてきた猫}のようになってしまった。
が、そんなことではへこたれないのが日本車産業。日産はターボで、トヨタはDOHCと電子制御燃料噴射で元気を回復する。
そんな乗用車受難中の81年、セリカは三代目に進化する。
当時世間は{なめ猫}、TVでは{ハイスクール・ララバイ}欽ちゃん全盛の頃だった。
さて当時はトヨタvs日産に、今のような格差はなく、熾烈な叩きあいを展開していた。
用語も敵対的で、日産がハッチバックならトヨタはスリードア。DOHCは英国流ツインカム。三ドアをリフトバックと呼び出したのは、三代目がマイナーチェンジの83年頃と記憶する。
その83年に飛び出た元気者が、セリカ・リフトバック1800GT-TRツインカムターボだが、203万円は当時としては高額だった。
国鉄初乗り120円、タクシー初乗り2㎞420円という頃である。
3T-GEU・1770ccツインカム+ターボという構成は日本初登場だった。160ps/6000rpmの高出力に感心。10モード燃費8.5km/ℓ。
九十九里往復実用燃費10km/ℓは、当時の高性能エンジンでは上々。ゼロ400m加速16.11秒。跳ね上がるヘッドランプが格好よかった。
トヨタのスペシャリティーカーが元気を取り戻した83年、新車の車検が3年になって喜ぶ反面、暗い話しが続出。
サハリン沖大韓航空機撃墜・戸塚ヨットスクールの過酷なしごき・そしてNHK朝ドラ{おしん}のくらい物語に、日本中が釘付けになっていた。