【車屋四六】貴族の城の自動車博物館

コラム・特集 車屋四六

「スエーデン貴族の城の自動車博物館で」と、パイロット仲間の横溝政明、通称/横さんが届けてくれたのが今度の写真。代々の殿様愛用の車だそうで、飛行機乗りの軍人も居たようだ。

自動車の方は世界的傑作オースチン・セブン。WWⅠ敗戦でBMWは二輪で自動車屋の仲間入り。二輪成功の後四輪へ/最初の作品DIXIはオースチンⅦのライセンス生産

飛行機はスエーデン空軍の爆撃機で、まだ自動車屋になる前のサーブ製でB17と呼ぶ。もちろんボーイングB17とは別物。

1937年頃のヨーロッパはWWⅡ突入直前時。おりからのスペイン内乱を兵器の実験場と見たてたドイツ・コンドル軍団43機が、ゲルニカを無差別爆撃して世界から非難を浴びる。
後にピカソが、怒りをぶつけて名画{ゲルニカ}を描き上げる。

暗雲たれこむヨーロッパの中で、列強に囲まれたスエーデンは中立国ではあるが、有事に備えて自国製空軍機の開発を始めるが、中の一機がB17爆撃機だった。

サーブ初の全金属製B17の初飛行成功は40年。前年ポーランドにドイツ軍の侵攻で火が点いたWWⅡは、40年にパリ陥落。
40年は昭和15年。東洋一の可動橋、鬨橋(カチドキバシ)が隅田川に架かって祝賀。まだ表向き日本は平和だった。

サーブB17は、急降下爆撃機だが、偵察機や水上機なども派生製作されたと聞いている。
B17は全長10.06m、全幅13.72m、最高速度434km/h。12.7mm機関銃x2、7.9mm機関銃x1、爆弾680kg。
エンジンは米プラット&ホイットニーのライセンス生産で、ツインワスプというから、空冷二重星形1065馬力ということになる。
実戦配備は、42年~44年まで、325機が生産された。

さて、著名な傑作大衆車オースチン・セブンは、22年/大正11年に誕生。日本では、長寿銘菓グリコが誕生、週刊朝日やサンデー毎日が創刊された年である。
当時日本は、日本海海戦の大勝利以来、陸海軍の増強につとめ、それを列強大国が気にしだした頃でもあった。で、ワシントンで海軍軍縮会議開催。艦隊保有量を米5:英5:日3と決定調印。
ようするに出る釘が打たれた結果で、日本中が悔しがった。

優れた経済車セブンは人気者になり、ドイツ、フランス、アメリカなどでライセンス生産された。オースチン社の記録では日産との関連も記されているようだが、日産社史には記録がないがWⅡ以後も活躍したダットサンのエンジンなどにその匂いを感じるが。
BMW初の乗用車ディキシーも、セブンのライセンス生産である。

セブンは、22年から39年まで造り続けられたロングセラーということが、偉大な人気を証明している。
ちなみにアメリカのセブンは、30年~39年の間に29万861台も生産された。USセブンの諸元は、全長2950mm、WB2025mm。車重524kg。直四サイドバルブ747ccエンジンは13馬力。

日本でもセブンは著名。WWⅡ突入前、国産車はダットサン、輸入車はオースチンで、小型車の代名詞的存在だった。

私の幼少期はWWⅡ前。大森区から麻布区に引っ越したが、どちらでも、病気になって寝込むと、往診に来る医者は、オースチンに看護婦を乗せてやってきた。

戦後暫くの間、医師が書くカルテがドイツ語だったように、戦前の医師はドイツ留学者が多かったのに、何故か英国のオースチンに乗ってきたのを思いだし、後年、不思議に思ったものである。

ボーイングB17爆撃機。映画メンフィスベル出演の機体でマスコットガールも再現。前下部銃座は外して撮影/英ダクスフォード博物館。本物は退役後メンフィス市/テネシーで保存