かつて日産にはチェリーと呼ぶ小型車があったが、その名が消えたのには不都合な理由があったようだ。
何処の業界でもネーミングには気を使う。日産はチェリーを”桜”として命名したが、暫くして俗っぽい意味で「処女」「童貞」などの意味で使われることもあると判ったのだそうだ。
こいつはブルーバードの時にもあったようで、当初のスノーバードが、発売前スラングで娼婦というような使われ方があると判り、ブルーバードになったと裏事情に詳しい同業者から聞いた。
で、消えたチェリーの後継で78年に登場するのがパルサー。
その後パルサーは双子、三つ子と発展しながら80年に登場するのがラングレーだったのである。
パルサー登場の78年は昭和53年、実力が付いた日本経済に比例して円高が進み、7月21日ついに200円の大台に達し国中大騒ぎ。
が、円高進行は止まらず、8月2日184円に、8月15日181円と高騰を続け、輸出業は慌てふためいた。
78年、パルサー登場頃♪与作/北島三郎♪夢追い酒/渥美二郎♪青葉城恋歌/さとう幸行などが流行っていた。また80年ラングレー登場の頃は♪雨の慕情/八代亜紀♪倖せさがして/五木ひろし。そして売れっ子山口百恵の突如引退でファンを落胆させた。
ラングレーは、フォードア無しでスリードアのみという割り切り構成で、派生目的は旧プリンス系販売店向けだったから、ライバル無しでブランドイメージが確立していた虎の子、スカイラインの姿と雰囲気を取り込み、まさにミニスカイラインだった。
全長3960㎜、全幅1620㎜、ホイールベース2395㎜。車重860kg。直四OHV・1397cc・圧縮比9・92ps/5000rpm。当時は斬新なラジアルタイヤ165/70R13を履いていた。
売り出したラングレーは好評だった反面、スカイラインのイメージがつきまとっているせいで、エンジンの古さが目立った。
で、81年登場の新E15型を搭載。が、SOHCに進化したのに、厳しい排ガス対策で85馬力と出力上がらず期待を裏切った。
♪ルビーの指輪/寺尾聡の歌が、TVやラジオからジャンジャン聞こえてくる頃だった。
ラングレーばかりでなく、排ガス対策で軒並みパワーダウンの対策として、日産はターボ装着技術で他社に先行していた。
で、ラングレーにもターボ装着車が登場する。
ラングレーターボは、小径ターボ採用でタイムラグが少ないのが好評だった。で、スカイラインのイメージを壊すことなく、評論家の中にはボーイズレーサーと書いた人も居た。
83年ラングレーターボ登場の頃は♪さざんかの宿/大川栄策♪矢切の渡し/細川たかし、そして日本では未だ珍しい韓国人歌手チョー・ヨンピルの♪釜山港へ帰れ、などが良く聞こえていた。