2012年、国内需要頭打ちで生産が減少、海外生産が増えて元気低下の日本市場に較べてタイは元気一杯で自動車ショーも大繁盛。前年の観客数140万人だったというのだから、自動車ショーとしては世界の一流である。
さて、毎年楽しみなクラシックカー取材は、メルセデス・ベンツ・280SL。評判よかった190SLの後継2代目のモデルだ。そもそも190SLは、1952(昭和27)年NHKラジオで紅白歌合戦が始まった年に誕生して、世界のレースを荒らし回った高性能スポーツカー300SLの廉価版という位置づけで誕生したのが54年。遠洋マグロ漁船第五福竜丸がビキニ環礁で被ばくしてアメリカの水爆実験の犠牲になった年だった。
190SLは純スポーツカーの雰囲気の持ち主だったが、230SLは斬新なスポーティーツアラーという雰囲気に変身。登場した63(昭和38)年はケネディ大統領暗殺がビッグニュースだった。
ちなみにSLとはドイツ語で、S=スポルト、L=ライヒ(軽量)。といっても300SLは見た目に軽量とは思えなかったが、190SLは見た目軽快、230SLもしかりで、基本は2座席で幌のロードスター。取り外し可能なハードトップとハードトップの3形態があった。
さらにロードスターから幌と格納部分を取り去り、簡易シートの2+2カリフォルニア・ロードスターというのも生産されたが、晴天ばかりの地方からの要望で生まれた特殊需要だったのだろう。
諸元は、全長4285×全幅1760×全高1290㎜・ホイールベース2400㎜・車重1300㎏・直6 OHC・2306㏄・150馬力/22.0㎏m・4MT・4AT・4輪コイルスプリング独立懸架・最高速度時速220㎞・0~100㎞速11秒(ATは13秒)。
このエンジンはセダンの220S用をボアアップで2.3ℓにして、機械制御噴射のボッシュKジェトロニクで構成されているが、220Sは吸気管噴射だったが、230SLではシリンダーヘッドのインレットポート噴射に変更されている。
アメリカ市場重視で誕生した230SLは評判もよく、生産台数は230SLが1万9831台、250SLが5196台、さらに280SLが2万3885台で、沖縄返還協定が日米で調印された1971(昭和46)年に3代目と交代した。
この250SL/67年から280SL/68年は、これまでの常識的性能アップではなく、折からの排気ガス規制対策での出力低下を帳消しにする性能維持目的だから、性能はほぼ同等だった。
(車屋 四六)
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。