バンコクのアルファロメオ・ジュリアスパイダー

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毎年バンコク自動車ショー取材での楽しみは、クラシックカーコーナー。そこで出会ったアルファロメオ・ジュリアスパイダー1963年(昭和38)型を紹介しよう。タイは日本と同じ左側通行だから、右ハンドルというのも親しみがわく。

アルファロメオのWWⅡ以前は、多気筒の高級車指向だったが、敗戦の復興期に4気筒モデルに転換して、1954年(昭和29)に誕生したのがジュリエッタ。それが進化して62年に誕生したのがジュリアである。

ジュリエッタという名の由来は、アルファロメオと名作「ロミオとジュリエット」にちなんだものだそうで、イタリア語では、ジュリアはジュリエッタの妹だそうだ。

ジュリアスパイダーの後ろ姿:幌が畳まれていれば素晴らしいスタイリングなのだが。

ジュリアは、62年から66年までに17万4047台というから、人気の程がうかがえ、イタリアで量産メーカーの地位を獲得する。一口にジュリアといっても、セダン、クーペ、スパイダーなど、バリエーションたくさんな大家族だが、そのうちスパイダーは9250台が出荷されている。

イタリアでスパイダーは、オープンのロードスター。ジュリアの諸元は、全長3900×全幅1580×全高1335㎜。ホイールベース2250㎜。車重885㎏・直4 DOHC・1570㏄はツインキャブ、圧縮比9.0で62馬力/12.5㎏m・5MT・最高速度時速172㎞。ブレーキは4輪ドラムブレーキだが、そのドラムにフィン付で当時アルフィンドラムと話題になったりした。懐かしい三角窓も健在。

親友鍋島俊隆/SCCJの愛車を借りて乗ったときの印象は、軽快で4輪コイルスプリングの乗り心地も良く、スポーティーで軽快な排気音につられて踏み込むと軽く100㎞を越え、小排気量のくせに当時としては俊敏軽快な車だった。

アルファロメオ博物館展示のアルファロメオ・ジュリエッタ1.3ℓ:前から見た顔も後ろ姿もジュリアに継承されている。いずれにしても完璧な美しさといって良いだろう。

ジュリエッタは1.3ℓで、ジュリアが1.6ℓ。同じようなスタイリングだったが、ボンネットのエアスクープでジュリアとわかる。ジュリアはサイドにフラッシャーランプが追加され、さらに大型化されたテイルランプでも識別できる。後にオプションでハードトップが追加されるが、あまり格好の良いものではなかった。

バンコク自動車ショーで出会ったアルファロメオ・ジュリアスパイダー1963年型。

ジュリエッタが登場した1954年(昭和29)という年は、第1回全日本自動車ショーが日比谷公園で開かれ、敗戦後9年が経ち日本経済も貧困から抜け出し、庶民憧れの三種の神器は「電気冷蔵庫・電気洗濯機・電気掃除機」だった。プロレスが人気で、マリリン・モンロー来日が話題に。新車登場はオオタPH-11型のみ。

ジュリア登場の1962年(昭和37)は、堀江謙一ヨットで世界初単独太平洋横断、国産旅客機YS-11完成。日本の自動車保有が500万台を突破して流行語にもなった嫁入り条件は「家つき・カーつき・ばばあ抜き」。登場した新車は、マツダ・キャロル、トヨペットクラウン、フェアレディ1500、三菱・ミニカ&コルト600、スズライトフロンテ360、プリンス・スカイライン・スポーツ。

(車屋 四六)

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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