正しくはサムローだが、タイでは三輪タクシーを2サイクル特有の排気音からトゥクトゥクと呼ぶ。安価な足として庶民の味方だが、さらに安い二輪のバイクタクシーと共に、街角ごとに客待ちをしている。
私の初バンコクは昭和41年/1966年。パンアメリカン航空でローマからの途中下車。隣席のタイIBMの重役が「三輪タクシーは危ないよ」と…雲助が多いということらしい。が、乗ってしまった! 空港で目前に停まったトゥクトゥクから可愛いタイ娘が降りて来たが、興味は娘ではなく青い車の方。運転手がニコリと笑った。
どうやら悪い奴でないらしいと思わず乗りこんだ。着いたホテルで「お客さんアブナイ」と言ったドアボーイが、運転手と交渉して「○○バーツです」…で、ぼられずに済んだようだと安堵した。どうやら乗る前に値段を決めるらしい。
そのトゥクトゥクの木製ベンチシートは尻が痛く、2サイクル特有の煙とにおいが不快だったが、私の好奇心は満足した。三輪タクシーはタイばかりか、今でもインドネシアやインドなど東南アジアの安い足として普及しているが、タイのは元祖が日本製。
1960年頃の日本で全盛を誇った三輪貨物自動車が衰退して、軽三輪貨物車が登場した。そのリーダー格のダイハツ・ミゼットがタイに渡り、タクシーに改造されてトゥクトゥクが誕生した。
日本のミゼットは、72年までに31万7152台も売れた人気者だった。やがて日本ではすたれた軽三輪も、タイではますます発展を続けて、本家が製造中止するとコピーがコピーでなくなり、21世紀になっても活躍している。
我々の世代は、WWⅡ以前からバンコックと呼んでいた。66年当時もバンコックだったが、いつの間にかバンコクに変わっていた。バンコクには、自動車ショー取材に毎年出かけるが、街のトゥクトゥクは健在で、そのメーカーは大企業になったようで、ショー会場に大きなブースを構え元気一杯に展示していた。
その展示品にはタクシー仕様などなく、ピックアップ、ダンプカー、保冷車、ごみ収集車など。乗用ではロングホイールベースで3列、4列シート、縦長ベンチシートのマイクロバスなど豊富なバリエーションが展示されていた。
自家用として使う人もいるようで、2002年のショーには凝ったペインティング、絹織物のシート、マホガニー製キャビネットの素晴らしいトゥクトゥクも展示されていた。ショーモデルだったのかもしれないが、思わず見惚れてしまった。
2000年頃、元気なトゥクトゥクに、バンコク市内からの締め出しの声が上がった。渋滞、排気ガス公害が原因だった。確かに、2サイクル特有のカン高い排気音、臭う排気ガスは嫌だが、タイが好きな観光客には文化として残して欲しいと思った。
最近のカタログを見たら、150ccと250cc、2種類のエンジンに「4サイクル」と書かれていた。タイでは日本製バイクが生産されているのだから、さもありなんと思った。
(車屋 四六)
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。