テールフィン・ラブ

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敗戦間際にドイツでメッサーシュミットやハインケルのジェット戦闘機が登場したが、WWⅡ中の戦闘機はプロペラ機の戦いだった。1950年の朝鮮動乱では当初プロペラだったが、国連軍優勢で中国軍が参戦すると、ソ連貸与のMIG-15ジェット戦闘機が登場し、アメリカ軍もF-86投入で対抗、これが史上初のジェット戦闘機同士の空中戦だった。

WWⅠで登場した史上初のイギリス軍タンクのインパクトは強烈で、今では定番の時計カルティエタンクが生まれたように、ジェット戦闘機も早速アメリカの乗用車に取り込まれた。で、ジェット戦闘機の吸気孔をイメージしたであろうフォード1949年型が登場して大成功。そして2匹目のドジョウ狙いが50年登場のスチュードベイカーだった。

一方、業界の雄GMは、フォードの顔に対抗したのか、テイルに垂直尾翼のイメージを取り入れた。私の愛車キャデラック75リムジンのテイルの尾翼はまだ小さかったが。ドイツの小型スパイカメラ・ミノックスなので不鮮明御容赦だが、左翼尾灯のボタンを押すとパカンと跳ね上がって給油孔が出てくる仕掛けが面白かった。

その小さな尾翼は年々大きく成長し、57年で一気に拡大、58年型はさらに顕著になり、59年にはさらに成長して、尾翼の中間にテイルランプが飛び出すように組み込まれていた。それがテールフィン・ラブの写真だが、50年代に流行した尾翼がもっとも顕著に、華やかになった頃のものである。

この葉書は、トヨタ博物館が企画したテールフィン・ラブと名付けたイベントの招待状だが、次の世代になると、フィンの高さが低められて尾灯も小さく細くフィンの一部に組み込まれて上品になり、高級車キャデラックにふさわしい品格を取り戻した。

トヨタ博物館主催テールフィン・ラブの招待状:前年下部にあったテイルランプは尾翼中間に移り元の尾灯の所はロケット噴気孔のイメージに変わった。

このテイル尾翼の戦いは各社に及び、クライスラーの57年頃は見事に大きかった。またフォードも比較的控えめではあったが、尾翼を付けていた。一方、GMの大衆車シボレーは56年頃かなり大きめの垂直尾翼イメージだったが、59年には全幅一杯、水平になり「これじゃ水平尾翼だね」と感心したのを覚えている。

この50年代に始まったジェットイメージの戦いは、50年代末で最高潮に達して、60年代に入ると徐々に衰退、消えていった。この流行は、イギリス、ドイツ、フランス、また日本にも、というように世界的に大きな影響を与えるデザイントレンドだった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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