云わずと知れたフォード・リンカーンは、キャデラックと並び米国を代表する高級車の一台で、大統領公用車として何度も檜舞台に登場している。
バブルが膨らんだころ、やたら登場したスペシャリティーカーやハイソカーという言葉は、島国の中だけなら良かったが、世界の常識ではお笑いぐさだった。
さらに日本では十把一絡げで「クラシックカー」と呼ぶが、欧米には確たる定義があるのだ。詳細説明は省くが、時代順にベテラン→エドワーディアン→ビンテージが1930年迄、そしてWWⅡまでがクラシックなのだ。
が、例外が一つ、リンカーン・コンチネンタルだけが戦後の48年型までクラシックで通用する。
コンチネンタルの生い立ちは、Hフォード一世の息子エドセルが、自分用に39年型リンカーン・ゼファーをカスタマイズした。それを仲間の富豪が「素晴らしい・欲しい」というので、少量生産したのがコンチネンタルの源流で、48年迄販売されたのである。
が、48年で終了したコンチネンタルは、55年にMK-Ⅱと銘打って甦る…かつてのV型12気筒からV8に換わってはいたが。車形はツードアのみ。端正で格調高い姿は如何にも金満家御用達、これぞ本物のパーソナル・スペシアリティーカーという風情だった。
勘ぐれば、バブル期に登場して一世風靡したトヨタの初代ソアラは、このコンチネンタルMK-Ⅱが開発時のヒントになったのでは、と思っている。
そして58年のフルモデルチェンジでMK-Ⅲと名乗る。そんな58年、フォードは中級車エドセルを新規投入、リンカーンのフルモデルチェンジと合わせて、市場に大攻勢を掛けた年だった。
が、満を満を持して投入したMK-Ⅲは、高級車ファンからは不評だった。豪華だが特別でなくなったからだ。リンカーンと同じボディーで、ツードアのみで独自性を主張していたはずが、フォードアセダンやフォードアランドーなどが登場した結果「リンカーンの最上級シリーズに成り下がった」と云われたのである…V8・7047cc・375馬力エンジンも共通だった。が、ヘッドライトが四灯にはなったが、グリルやバンパーにMK-Ⅱの面影を残して、格調高さを連想させようとしていた。
コンチネンタル名は今も残されているが、裕福層に愛された、格調高いコンチネンタルの姿はMK-Ⅲを持って終了したようだ、もう甦ることはなかろう。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。