1947年に斬新なスタイルで登場した「トヨペットSA」

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WWⅡ以前、日本自動車市場は輸入車の天下で、ハイタク業界の主流はフォードが1925年、シボレーが27年と、ノックダウンを開始した両車が占めていた。一方、小型車市場は独占状態の英オースチンセブンの一角にダットサンと高速機関のオオタが頑張っていた。

1947年/昭和22年、日本は敗戦からの復興に立ち上がったが、爆撃で焦土と化した街には粗末なバラックが建ち並び、階級章を外した軍服姿の復員兵が戦闘帽を被り闇市をうろついていた。
そんな47年、GHQは禁止していた小型乗用車の生産再開を許可した。で、まずダットサンが市場に一番乗り、次いでたま電気自動車が、そして最後に登場したのがトヨペットSAだった。

トヨペットSA/トヨタ博物館蔵:全長3800㎜全幅1580㎜全高1530㎜・WB2400㎜・車重1150kg・姿構造はVWが参考と云われているが戦後日本にVWの現物はない。が戦前ドイツ在住の隈部一雄/後年トヨタ副社長がKdFを見ているから知識はあったはず。

戦前型復刻のダットサンは良いが、戦前小型車実績がないトヨタは新規開発らしく、SAは全てに斬新だった。が、結論を先にすれば、ダットサンは生き残って発展、SAは売れずに沈没という結果に終わった。

日本の土壌に生まれ育ち、戦後の荒れた環境にも迎合したダットサンに対し、SAは先進欧州小型車に比肩できる構造だが、トヨタには斬新構造を製品化する技術がなく、スタイルは斬新だが、全てに中途半端な出来映で、主な需要先であるタクシー業界がソッポを向いてしまったのだ。また欧州なら常識的サイズでも、日本では大き過ぎで、例えばダットサンの全長3000㎜全幅1400㎜に対してSAは全長3800㎜全幅1590㎜。

もっともSAの完成度が高かったとしても、一握りの裕福ユーザーは外車一辺倒で、頭から馬鹿にしていた国産車を買うはずもなかったのだ…その辺はトヨタの読み間違いだったのである。

当時は東京でも馬や牛が荷車を引き、小荷物運搬は大八車やリヤカーや自転車で、走り回るスクーターが格好良く、食糧不足を補うカツギ屋が活躍、都電料金が50銭から1円になった頃だった。

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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