【平成生まれのクルマたち②】平成元(1989)年:マツダ・ロードスター

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およそ30年続いた平成の時代(1989年~2019年)に発売された、多くの国産新型車の中から印象深く、記憶に残るモデルを紹介していく。その第2回目は、マツダ(ユーノス)・ロードスターだ(1989年7月3日発表/9月1日発売)。

現在、国産モデルでは数少ない、ライトウェイトスポーツのマツダ・ロードスターも、平成元年生まれの1台。現在は第4世代(2015年~)へと進化している。ロードスターと時を同じくして、マツダに新しい販売チャネル“ユーノス”が生まれ、マツダの販売チャネルは5チャネルとなった。初代ロードスターはそのユーノスの専売モデルであり、冒頭ユーノスと併記したのはこの理由から(1996〈平成8〉年まで)。

ユーノスチャネルのコンセプトは“Quality Rich──豊かさの実現”というもので、当時のマツダとは異なる高級路線のブランドを作りイメージ刷新を図った。ロードスターに続き、ユーノス名義でセダンやクーペ、コンパクトカー等が発売され、ラインアップを拡充させた。その一方で、輸入車のシトロエン・BXも取り扱い“マツダ”を感じさせないチャネルだった。

現在のマツダのクルマづくりは、大きな部分から細部までこだわり抜いて作られていること。例えば、太陽光の加減により様々な表情を見せる、あのメタリック系のボディカラーやドライバーにとって最良のペタル・レバー・スイッチ類の配置、加速のフィーリング…等、こだわりの部分は数値で現れるものだけでなく、容易に見えない部分や感性の領域にまで及ぶ。

そういった意味で、平成元年に生まれた初代ロードスターもこだわりの塊だ。1980年代初頭、当時は内外自動車メーカーで絶滅状態に近かったライトウェイトスポーツカーを作ろうと決めた開発者の固い信念があり、ライトウェイトスポーツ=軽快で素直な運転感覚、という理想を追求して開発された。

現在のマツダモデルが追い求める“人馬一体”という考えは、ロードスターの開発では最も重視された部分。クルマの本質を磨き上げるため、コントロールしやすい後輪駆動を採用しつつ、大出力エンジンや先進的な制御装置、充実した装備を搭載…のような考えを排除した。一方、コストを切り詰めつつ目指す理想に近づけるため、必要なものはためらうことなく採用した。大胆な選択と集中が敢行された。

2+2の4人乗りではなく、重量増を嫌い2人乗りにした。ルーフはソフトトップ(幌)として、しかも手動開閉式にしたのも同様の理由。運動性能を悪化させるので、重心から遠い位置に重いものを置かない。ボンネットフードをアルミ製とすることで、重量物が重心に近くに集まり重心位置を下げ、操縦安定性と運転操作の的確さを向上させた。

さらに、タイトに身体を包み込むバケットシートや、手首の返しで操作できるクイックなシフトレバー、踏みしろに応じてリニアに作動するブレーキ、排気系(エキゾーストマニホールド)は鋳鉄製ではなくステンレス製のパイプを使い、排出ガスの流れを理想に近づけスポーツカーらしい胸のすくような吹き上がりを手に入れた…。

こうした、数々のエンジニアの情熱がロードスターを形作り、初代モデル発売から国内のみならず世界のファンから多くの支持を集め続けていることは周知のこと。2000年には、世界で最も多くの台数を販売したオープンスポーツカーとして世界記録にも記載された。その後もモデルチェンジを重ね販売台数を増やし、その記録は更新を続けている。

【車両本体価格(当時)】 170万円

【参考:クルマを取り巻く数字。平成元年/平成30年を比較】

    • 大卒初任給平均(男):16万900円/21万100円(平成元年比1.3倍)
    • 大卒初任給平均(女):15万5600円/20万2600円(同1.3倍)
    • ガソリンの小売価格全国平均(1リッター):116円~120円/141円~160円(同1.22倍~1.33倍)
    • 自動車総保有台数:5513万台/8156万台(同1.48倍)
    • 全国高速道路供用総延長(㎞):4407㎞/8923㎞(同2.02倍)

【平成生まれのクルマたち①】はこちらから

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