ゴーリアットって知ってる?

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どれが正しいのか判らない自動車の名前が沢山ある。メルセデスをメルツェデスと呼ぶ評論家が居る。ダイムラーは英国に行くとディムラーになる。外国語音痴の日本人には難しい問題だ。

BMWは、バルコム貿易から輸入権が新規設立のBMWジャパンに移り、米国で二輪のカワサキ販売で活躍した浜脇洋二が初代社長に就任してからビー・エム・ダブリュと呼び、それが定着したが、バルコム時代までは、本国ドイツと同じべー・エム・べーだった。

今回話題は、ドイツの自動車屋としてはマイナーな会社で、古い日本の雑紙にはゴリアート、ゴリアットなどの表記が多いので、暫く困った時代があったが、外交官でドイツに住み自動車評論家でもあった高岸清は「ゴーリアット」が正しいと云っていた。
同様に「ベンツ語源の娘はスペイン系だからメルセデスが正しい」とは古事の権威五十嵐平達の言である。

さてゴーリアットだが、手元にある最古の写真は1934年ゴーリアット・パイオニアと呼ぶ198ccの三輪乗用車。というように、WWⅡ以前のゴーリアットは三輪屋で、東京中央郵便局が何台か集配用に使っていた記録もある…戦前は、貨物車、デリバリーバン、乗用車、マイクロバスなど多種あったようだ…三輪車が日本独特、お家芸と思っているのは間違いである。

ゴーリアット・パイオニア/1934年:2ストローク198cc・後部エンジン/後輪駆動

そんな会社が、戦後四輪に転向して、52年にGP700を発売した。全長4035㎜、全幅1580㎜。二気筒2ストローク688cc・25.5馬力(52年にボッシュ燃料噴射で29馬力)。四輪独立懸架とFWDのメリットを生かして前席三人掛け定員5名というのが特徴。また四速変速機をインパネから突き出したレバーを捻る方式も珍しかった。最高速度100㎞、燃費13.3km/ℓは立派な性能だった。

やがて周囲の高性能化にともない、ゴーリアットも900ccを加え、最終的には水平対向四気筒4サイクル1100ccも登場する。ちなみに、当時のドイツには2サイクルエンジンが多々あったが、ゴーリアットの700と900は、中でも最優秀との折り紙付きだった。

ゴーリアットGp700/1958年:GpTb900も同じ姿。

いつの頃か知らないが、ゴーリアットは、ボルグワルト・ハンザの傘下に入っていたので、GP900/56年も1100/57年も、既にこの時代になってから登場したものである。

この水平対向1100ccになってから、ハンザ1100とブランド名が変わったが、1961年を最後として、市場から消えていった。

ゴーリアット1100からハンザ1100に

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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