自動車より遅かった、という今では信じられない時代を経て飛行機も自動車同様に速度競争が始まり、WWⅠで一気に進化し、その意気込みは戦後レースに向かい、一気に速度が上昇した。
(kph=km/h=粁時・Hp=ホースパワー=馬力)
1906 41kph 仏サントスデュモン/アントワネット7気筒-50hp
1910 105kph 仏ブレリオ/ノーム9気筒-100hp
1912 161kph 仏ドペルデュサン/ノーム9気筒-140hp
1913 203kph 仏ドペルデュサン/ノーム9気筒-160hp
1920 302kph 英ニューポール/イスパノスイザV8-300hp
1922 378kph 米カーチス・アーミー/カーチスD12-V12-500hp
1923 417kph 伊マッキMC52/フィアットV12-1000hp
1928 512kph 英グロスター6/ネピアライオンV12-1320hp
1931 541kph 英スーパーマリンS6B/ロールスロイスV12-2600hp
1934 709kph 伊マッキMC72/フィアットV24-3100hp
1939 755kph 独メッサーシュミット109R/ダイムラーV12-1175hp
上記表を見ると、大戦が終わり、ニューポール以降の速度更新は、全てレーシングマシーンだ。ちなみに速度上昇=馬力上昇という常識は300kphほどまでで、それからは空気抵抗も考慮するようになる…流線型の登場である。
ただしメッサーシュミットがパワーダウンしながらの記録更新は、引っ込み脚で空気抵抗が低下、フラップの発明で陸上から離陸可能になり、軽量化も加わっての成果である。
それまでのフラップ発明前は、馬力荷重が極めて高い競争機を離陸させるほど長い滑走路がなかったので、やむなく水上機になり、フロートの空気抵抗が大きく大馬力が必要だったのだ。
ちなみに、私が乗っていた軽飛行機では、車輪一脚=5マイル/8㎞と云われ、引っ込み脚型(主輪x2と前輪で三脚)…値段は高くなるが高性能だった。
飛行機の競争では、ゴードンベネット、デーリーメイル、ピュリツッツアー、トンプソン、ベンディックスなど多くのレースがあったが、一番影響を与えたのが、三回連続優勝でトロフィー取り切りという規則の、シュナイダートロフィーレースである。
1913年の第一回優勝はドペルデュサン、その後22年、23年と米国カーチスが勝った後は、英国とイタリーの一騎打ちで、イタリーが4回、英国が5回勝ったが、実はフィアットvsロールスロイス=発動機の戦いでもあった。
結果は、発動機不調に悩むマッキに対し、英スーパーマリン機のロールスロイスが何時も快調で、三連勝。が、悔しいマッキは、その後発動機が快調になると数々の速度記録を作り、最後の世界記録709㎞は、水上機の記録として未だに破られていない。
現在シュナイダートロフィーは、ピカデリーの英王立航空倶楽部に保管されている。スーパーマリン開発の天才技師ミッチェルは、これを機にWWⅡで英国を勝利に導いた名戦闘機スピットファイヤの開発に繋がっていくのである。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。