車の速度上昇は青天井

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ルマン24時間レースをよそに、本来の速さを競うサーキットレースにも年々大馬力車が登場し、速度も青天井の上昇ぶりを示した。

WWⅡ開戦直前の頃、ヒトラーの国策・国威高揚の後押しで生まれたメルセデスベンツW125型が猛威を振るい、GP優勝車の気筒容積は、5.7ℓと思ったほど大排気量ではないが、スーパーチャージャー加給で何と640馬力/5800回転を絞り出し時速300kph。
更に小型化した1938年登場のW154型の3ℓV12気筒は483馬力/7800回転で、HラングやRカラッチオラなどの名手により、各地のレースをなで切りにした。

さて、そんな高性能化する前、30年ほど時計を巻き戻してみよう。
第一回グランプリ/GPは1906年で、優勝車ルノーの速さは109.8kph。第二回はフィアット。第三回のメルセデスを含めて速さは100kphほどのものだった。

GPスタート風景:前列2台のW124に挟まれたアウトウニオンは6ℓV16気筒スーパーチャージャー/520馬力をミドシップ搭載(ポルシェ開発番号22)。両社の覇権争いは熾烈で1935年はメルセデスの年、36年はアウトウニオンの年と云われている。

当時の考えは、パワーを得るには大排気量化だったが、やがて大きくなりすぎて、小型化が始まった。例えば、パナールのGPカーは1906年18ℓ、07年には15.5ℓになりキャッチフレーズが{より小さく・そして成功}。更に08年には12.8ℓにはなったが、速度の方は165kphと向上している。

かたやメルセデスのGPカー四気筒200馬力/1600回転は21.6ℓもあり、09年世界記録200kphをマークしている。一方で、英ボクスホールは3ℓで160kph。参考迄に第一回インディ500レース優勝車マーモンの平均速度は119.3kphだった。

13年オペルのGPカーは12ℓ/250馬力で228kphを誇った。
当時英国のブルックランズはスピード記録のメッカで、フィアットはブリッツェンベンツの記録を破ろうと、密かな開発をしていた。
そのレコードブレーカー・フィアットS16のOHV発動機は、実に2万8353cc/300馬力/1900回転というモンスターだった。
で、結果はブルックランズで198.4kph、次いでベルギーで219.2kphをマークして、目的を果たしたが、エスカレートする発動機競争もこの頃が頂点のようで、これ以後、航空発動機を転用したレコードブレーカー以外は、小型化していった。

さて、自動車より遅かった飛行機もレースが盛んになり、自動車と同様に、勝つためにはドンドン大きくなっていった。そしてWWⅠが終わると、勝利向けのエネルギーは戦争からレースに向けられるようになり、その速さはアッという間に自動車を引き離していった。

1905年/明治38年フランクフルト・サーキットGPレースで優勝のオペル/ドライバーはフリッツ・オペル

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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