ルマン24時間レースよもやま

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WWⅡ突入で、やむを得ず休業になったルマン24時間の復活は、1949年/昭和24年で、優勝はフェラーリ2ℓ…フェラーリの社長は、戦前はアルファロメオのファクトリードライバーという人物。ちなみに翌年の優勝車はタルボ。

ルマンで初めて平均速度150kphを突破したのは51年のジャガーXK120C/3.4ℓ。周回4000㎞を突破したのも同じ車で53年。ついでに4500㎞突破は63年のフェラーリ250P/3ℓ。5000㎞突破が68年フォードMK-Ⅱである。

フォードGT40-MK-Ⅰ/1966

一方速さの方は、平均170kph突破が53年で、ジャガーDタイプ(第一回日本グランプリで鈴鹿を走っている)。180㎞突破が57年でジャガーDタイプ。190㎞突破は63年フェラーリ250P。200㎞突破フォードMK-Ⅳ/7ℓである。

注目は、グランプリレースでは王者だったベンツは、ルマンでは52年の300SLR優勝が一回だけ。(82年頃まで)最多優勝はフェラーリ9回、ベントレイ5回、ジャガー5回だが、現在は最多勝はポルシェ、次がアウディということになる。

メルセデスベンツ300SLR

24時間を一人で運転というのは無理だと思うが、酷暑の32年アルファロメオ8Cを運転するRキネッティが3時間走って熱中症で倒れると、代わったLソマーは、以後の21時間を一人で走り続けて、優勝してしまった。

もっともルマンでなければ、もっと恐ろしい人も居る…ルバッソールは、夜は灯油ランプで、昼夜ブッ通し48時間48分頑張って、優勝…長時間運転では先輩のルバッソールから較べれば、ソマーの21時間は驚くには当たらないことかもしれない。

余談になるが、空では、グライダーで53時間アルプスを飛び続けて滞空記録を樹立したパイロットが居た。彼は自己記録を更新をめざし再挑戦して死んだ…原因は居眠り操縦。

ちなみに、ルマン名物ミュルサンヌの6㎞直線での最高速度は88年プジョーが記録した405kphだが、危険防止のために90年直線路に二カ所のシケインが設置されたので、以来この記録は破られていないようだ。

 

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